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夕焼け小焼けで日が暮れない(都市は連日連夜の空襲で上空はまっ赤に染まっていた)/山のお寺の鐘鳴らない(国中の寺の鐘は武器・砲弾の材料として供出させられた)/お手々つないでみな帰れない(学童疎開で親許から引き離されていた)/烏も一緒に帰れない(食糧難で烏も捕獲して食べた)。
疎開児童がこんな替え歌を歌っている姿を想像するだけで胸が痛む。
アメリカ、イギリスによるイラクへの武力攻撃は泥沼の様相を呈してきた。昨2003年1月、いまにも攻撃が始まろうとしていたころ、私は、呼びかけ人のひとりとして『イラク攻撃に反対し“意見広告”を出そう!』と知る限りの人々へ呼びかけた。
「憎しみの連鎖を断ち切り、辛抱づよく平和への道を探ろう! 私たちは日本がアメリカのイラク攻撃に加担することに反対です!」をアピール文として。
この女たちの意見広告は、2003年1月29日、朝日新聞全国版1面に掲載された。短時間のうちに、4,592人分の賛同金(ひとり3,000円)が集まり、非戦・平和への女たちの声は新聞紙上に輝いたのだった。それから1年、私たちの願いも空しく,日本政府はイラクへの自衛隊派遣を断行した。
イラク攻撃による市民たち、いたいけな子どもや女たちが犠牲になるのを許さない。戦争の悲劇を繰返してはならない。イラクの空よ、夕焼け小焼けで日が暮れてほしい。イラクの子どもたちが、お手々つないで家に帰れることを切望する。
1945年3月10日、そして5月25日、東京は米軍機による大空襲に見舞われ、何万人もの子ども、女性、老人たちが死んだ。 |