2004.11月

       
 

 『シベリア鎮魂歌』を読む

 
 
 

「性を語る会」代表 北沢 杏子

   
       

 

 『シベリア鎮魂歌──香月泰男の世界』(立花隆著 文芸春秋社刊)400頁を20時間かけて読了し、その作品(絵画55点)と作品の裡に篭められた意味を、立花隆の聞き書き、取材、評論、解説で知って深く感動しているところだ。

 私がいま、これを書いていている八ヶ岳山麓の書斎兼寝室の3階の窓からは、寝ながらに雪をいただいた白鳳三山と北岳が見渡せるのだが、早朝5時半から6時にかけて朝日が射し、山頂にかかる雲を紅く染める。それを眺めたくて朝5時半にブラインドをあけるのが日課だ。きのうはブラインドを上げると雨が降っていたので、文字どおり「晴耕雨読」と決めて、この本の1頁目を開いたのだった。

 そして、きょうの5時半、雨が上がり、山脈の雲が紅く染まった頃、遂に読了。途中、食事以外はずっーと読んでいた。こんな時間がもてたのも、しかも読みごたえのある本を手にしたのも久しぶりだったので、直ちに机に向かって、これを書いている。

 第二次大戦後当時のシベリア(スターリン時代)の強制収容所には、約1000〜1500万人が収容されており、うち700万人が自国人(ソ連人)、400万人がドイツ、イタリア、フランスなど西ヨーロッパ諸国兵士の捕虜(東ヨーロッパ諸国の捕虜の数は不明)60万人が日本人兵士の捕虜だったという。

 作家ソルジェーニーツィンがノーベル賞受賞後、国外に逃れて書いた『収容所群島』を読むまでもなく、スターリンの粛清政治が700万人もの自国人を収容所に送っていたという事実には驚かされる。

 というのも、シベリアの凍土の地下資源(石炭、金、ダイア、ボーキサイト、ウラニウム、チタン他)は、限りなく豊富なのにもかかわらず、労働力が不足していたから、これを補うためには敵国人はもとより、自国人であろうと、あらゆる理由をつけて収容所に送り労働力にあてていたのだ。

 香月泰男も、セーヤの捕虜収容所に収容された。彼は栄養失調と重労働で次々と死んでいく仲間を葬るために凍土に穴を掘る。死者は服を脱がせ、ジュバンと靴下だけにして(服は貴重な物資だから)、戸外に5時間も出しておくとコチコチに凍結する。それを毛布にくるんで、戸板に乗せ、穴に運んだ。墓穴に入れるときは、当然、貴重品の毛布は取り除いた。それを描いたのが、「穴掘り人」「涅槃」である。

 香月は1972年、62歳で死去するまで、こうした「シベリア・シリーズ」を描き続けた。

詳しくは本書をお読みいただくとして、国家の権力者(覇者)によって、人びとの運命が左右される戦争──その不条理を私たちは訴え続けなければならないと、強く強く考えさせられた貴重な20時間の読書であった。

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