日本国憲法第14条 1、すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的、または社会的関係において差別されない。/第24条
1、婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されなければならない。
いま、改憲の是非で騒がしい日本国憲法――その中の14条と24条他の人権にかかわる条項の草案を書いたのが、ベアテ・シロタ・ゴードンさんだ。1946年2月、GHQ(連合軍総司令部)の最高司令官マッカーサー元帥の命令により、米民生局が日本国憲法の草案を早急に作ることになる。こうしてホイットニー准将をヘッドに25人が起草に取りかかるのだが、その中の「人権」に関する部門は2人の男性と1人の女性、当時22歳のベアテさんだった。彼女はヨーロッパで活躍していたピアニスト、レオ・シロタ(ロシア・キエフ生まれ、ロシア系ユダヤ人)の娘として、1923年にウィーンで生まれた。5歳のとき、東京音大の教授として赴任したレオ・シロタ一家は、港区乃木坂に居を構えた。ベアテさんは、16歳でアメリカのカレッジに入るまでの10年間、日本で育ったという日本通であり、6カ国語に通じ、「両性の平等」を信条とした知的で、ユーモアに富んだ女性だ。映画『ベアテの贈りもの(監督・藤原智子さん)』の中で、80歳のベアテさんは、そのユーモアのセンスで何回も観客を笑わせた。
さて、25人のメンバーによる憲法草案は、1946年2月13日、外務大臣官邸で吉田茂外務大臣、松本烝治国務大臣に手渡された。日本政府が、それまでの大日本帝国憲法の改憲に着手していたため、その先手を打った形である。「先日、あなた方から提出された憲法改正案は、自由と民主主義の文書として、最高司令官が受け入れることの全く不可能なものです(略)。最高司令官は、天皇を戦犯として取り調べるべきだという、他国の圧力から、天皇を守ろうという決意を固く持っています(略)。この新しい憲法の諸規定が受け入れられるならば、実際問題として天皇は安泰になると考えています」ホイットニー民生局長は、こう言って、天皇を戦犯として法廷に立たせるか、それとも、われわれの草案を呑むかという、二者択一を迫ったのだった。読んでいてハラハラする一場面だ(『1945年のクリスマス――日本国憲法に男女平等を書いた女性の自伝――』ベアテ・シロタ・ゴードン著、平岡磨紀子・構成・文、柏書房刊)
こうして1946年4月10日、敗戦第1回目の総選挙施行。女性の参政権が初めて認められ、女性議員が選出されて、行政には婦人少年局が設けられるなど、女たちの闘いの中で着々と、女性の社会進出が進んでゆく60年間の歴史が、映画では映像として躍動する。映画のラストでベアテさんは、「私は日本の女性を尊敬しています(略)。日本の女性の将来は明るいと思います。私が草案した権利が、毎日の生活の中で充分に生きるときがくることを心から祈っています」と結んでいる。
ところで『男女平等』は主要58ヵ国中日本は38位と、ダボス会議の主催者スイスの「世界経済フォーラム」は発表した(毎日新聞5月17日)。日本のジェンダーの平等への道のりは、まだまだ遠い。