「あなたのこころの中の、ないしょのはこ。ないしょをそっと、しまっておくだいじなはこ。そのはこには、どんなないしょが、はいっているかな。しまっておきたい
ないしょかな。だしてしまいたい ないしょかな」。
これは文部科学省が、約7億3,000万円もの予算を投じて作成し、2002年に、その後も毎年(重版からは3億8,000万円)、全国の小・中学生1万2,000万人に配布している道徳教材『心のノート』4冊(小学校1・2年、3・4年、5・6年、中学校用)のうちの、1・2年生用28頁の文章である。ある小学校1年生の女の子はお母さんに、「わたしのないしょを全部出してしまわなかったら、悪い子なの?」と涙声で質問したという。個人の思想・信条の自由は、日本国憲法19条でも、子どもの権利条約14条でも保障されているはず。この幼い女の子は、こうして「内心の自由」を奪われながら、文科省のいう“望ましい人格形成”に誘導されていく。
この前の頁には、ウソをついた男の子のエピソードが描かれており、タイトルは「うそなんか、つくものか」となっている。ライブドア事件、耐震強度偽装事件、米国産輸入牛肉問題と、ウソだらけの社会の中で、「うそなんか、つくものか」と教え込むより、むしろ、嘘をつかなければ生きていけない拝金主義、効率主義の現代社会を批判できる子どもを育てるほうが道徳的なのでは?と、頁をめくっていくと、3・4年生用29頁には、失敗を正直に言おうとする心と正直に言えない心の綱引きのイラストが描かれ、「“心のつな引き”で自分と向き合おう――心はとても軽くなる」。さらに、18頁には「あやまちを“たから”としよう」のタイトルで、男の子の蹴ったボールが隣家の植木鉢をこわし、詫びているイラストに、「あやまちは、これからの自分をよくしていくための“たから”となります」の文言が記されている。
北村小夜さん(1925年生まれ、元中学校教師)は、ご自分が小学校1年生で教わった“修身”の「トラキチノナゲタマリガ、ソレテ、トナリノシャウジ(障子)ヲヤブリマシタ。トラキチハスグ、トナリヘアヤマリニイキマシタ」とシチュエーションがそっくり!と看破した。この国定教科書“修身”の1頁目は、「テンノウヘイカ、バンザイ」、2頁目は「キグチコヘイハ、シンデモ、ラッパヲ、クチカラハナシマセンデシタ」となっていて、天皇制→軍国主義→道徳へと、幼い子どもを説諭していくのである。
『心のノート』も、小学校5・6年、中学校用になると、道徳→郷土愛→愛国心へと誘導していく。21世紀日本の構想懇談会(座長 河合隼雄)は、2002年1月の最終報告で、教育について次のように述べている。「国家は、常に注意深く、統治行為としての教育と、サービスとしての教育を明らかにすることが必要。(略)義務教育については、国家はこれを本来の統治行為として自覚し、厳正かつ強力に行なわなければならない」と。
この「統治行為としての教育」が、まさに「日の丸・君が代」の強制であり、批判することなく順応する児童・生徒を育成する『心のノート』の出現と言えよう。折も折。福岡県某中学校の社会科教師が、2年生の授業で、第二次大戦中の「臨時召集令状」のコピーを配り、「召集令状を受け取ったら……“いく”“いかない”」に丸をつけさせて、戦争参加の意思を確かめたとの記事(2005年12月17日毎日新聞)を読んだ。教師は、「戦いたくないし死にたくない。あと、人を殺したくないから、いかない」と回答した女子生徒の回答に「×」印をつけ、「非国民」と書き入れて返したという。こうした教育現場の現状を狙って、いま教育基本法「改正」の足音も高い!どうなる?日本の教育のゆくえ!
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