薬害エイズ──HIV非加熱製剤でエイズウイルスに感染した血友病の人々が、国と製薬会社5社に賠償を求めた「HIV訴訟」が東京、大阪地裁で和解(1996年3月29日)してから10年の月日が流れた。これを機に、「エイズ」の発端から振り返ってみたい。
エイズが初めて米医師会の注目を集めるようになったのは、1980年10月のことだった。その後半年の間に、最初の患者と同じように、まったく健康だった5人の若者がカリニ肺炎と診断され、ロサンゼルスの病院で治療を受けた。同じ頃、ニューヨークとカリフォルニアで若者のカポジ肉腫と診断される例が増え、'81年には20例を超えた。これが発端となって、この新しい病気が同性愛者の感染症として、ゲイ・バッシングが起こる。エイズはやがて、麻薬乱用者、血友病患者、さらに一般の人々への感染・発症を見るに及んで、感染者の血液を含む体液を介する感染症であることが判明。ウイルスをHIV、発症後をAIDSと名づけたのは、'80年代も後半に入ってからである。
日本では1985年、「エイズ患者第1号確認」の見出しで報じた朝日新聞が最初で、それもアメリカ在住の日本人で一時帰国した男性同性愛者だと、各紙は書きたてたのだった。
しかし、実際は違っていた。その前年の'84年、すでに血友病患者23人が感染、うち2人はエイズを発症していた。その原因が、アメリカから輸入した治療用の非加熱血液製剤だったのだ。これに対し被害者たちが、国と製薬会社を被告として訴えたのが、冒頭の「HIV訴訟」である。
当時19歳だった被害者の1人、川田龍平さんが'95年3月6日に実名を公表し、全国から集まった若者たち市民たち3,000人が、厚生省(現厚労省)の建物を“人間の鎖”で囲む抗議行動を起こそうとした『あやまってよ!'95』運動が、思い出される。結局“人間の鎖”は、警視庁交通課からストップがかけられ、霞ヶ関から国会前を横切り日比谷公園に至るパレードに変更されたが、私もその運動に加わり、教育教材ビデオ『薬害エイズと闘う川田龍平と若者たち』を製作したりした。
話をもとに戻して、和解調印から10年──その間に、すでに600人の方々が他界した。その多くは、悪性リンパ腫、白血病、肝硬変などの重複感染症が原因だという。非加熱製剤に混入していたHCV(C型肝炎ウイルス)が徐々に肝臓を冒し、肝硬変や肝がんに発展するケースが激増。加えて、エイズ発症を抑える「カクテル療法」の中の“HIVプロテアーゼ阻害剤”“逆転写酵素阻害剤”の継続服用を中断すると、たちまち耐性ウイルスができて薬が効かなくなるばかりか、発疹や下痢などの副作用に苦しむようになる。
薬害エイズの被害者でもある安西悟参議院議員は、「血友病患者の9割はC型肝炎に感染しており、C型肝炎感染には何の救済もない。多くの被害をもたらしている肝炎感染の実態と救済について、社会は、もっと認識してほしい」と述べている。
薬害エイズ──それを和解で一区切ついた、と風化させてはならない!
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