1946年4月7日、GHQ(連合国軍総司令部)民間教育局CIEは、戦後教育の改革を行なったが、その中に「日本語のローマ字化」勧告があったと知って愕然(がくぜん)とした。CIEが目指したものは「中央集権的な文部省が軍部に抑えられ、教育を通して国民の心理を軍国主義的に操作してきた」――これを何としても改革しなければならないというものだった。
教育改革の中では、「男女共学」「6・3・3制」など、私たちにとって有効なものもあったが、もし「日本語のローマ字化」が実現していたら、どうなっていただろう? 私は各国を取材して、例えばベトナムのローマ字化やフィリピンの英語化などを見てきた。そして、それによって、伝統的文化や芸術、宗教の次世代への断絶を嘆く高齢者や有識者の話も聴いた。
CIEの使節団は、「日本は習得が困難な言語(漢字・平仮名・片仮名混合の学習)を持つせいで、世界から孤立し、国民が政治参加に必要な法律や時事問題の学習時間が不足している」「読み書きを簡単にしなければ、日本は真の民主主義になれない」と主張したそうだ。
翌48年8月、CIEは、日本人の識字能力を調べる目的で「日本人の読み書き能力調査」を、文部省教育研修所(現国立教育政策研究所)の協力のもと、全国270地点の約21,000人を対象に実施した。
その結果は、「incredible !(信じられない!)」ものだった。設問は、仮名、漢字、数字の書き取りと読み、言葉の意味や文章の理解などで、「朝、太陽は( )から出る」の文に対して、東、冬など4文字から正解を選ぶ――といったものだったが、実際に回答した者16,820人の100点満点換算の全国平均は78.3点。文字の読み書きができない人は1.7%だった。これはCIEにとっては予想外だった。その結果、「日本語のローマ字化」は沈静化したという。
作家・劇作家の井上ひさし氏は、こう述べている。「終戦後の文部省と教育関係者たちは、なぜ、源氏物語から漱石、鷗外
にいたる日本の古典を子どもたちに教えるのを怠ってしまったのだろう。古典という名の文化遺産を子どもたちに手渡す仕掛けをしなかったのは残念である」「例えば、日本語の文は、否定や肯定は文末で決まるのだから、文は最後まできちんと発話することが基本――そういう基本をおろそかにしたまま、小学生に英語を教えようなどとは、狂気の沙汰である」と。
また、作家の柳田邦夫氏は「活字文化の危機」を、以下のように語っている。「IT革命に象徴される21世紀型の技術の負の側面は、『言語文化』と『心』の二つの問題だと思う。言語文化の低下は、子どもをゲームやテレビ、ネットに浸らせてしまい、心の発達の点で問題化している。自己中心的で、現実と仮想現実の区別がつかず、他者の心を理解できず、自分の感情の発達も止めてしまった……」と。
紙幅の都合で結論を急ごう。幸いにして「日本語のローマ字化」の災難は避けられたものの、日本の文化遺産としての古典はもとより、急激なIT社会の中で、“こころ”まで骨抜きになってしまっては取り返しがつかない!と憂うのは、私だけではあるまい。
|