恥の上塗りという言葉はあるが、石原都知事の場合は暴言の上塗りという他はなく、第1発言から第3発言(2001年10〜12月)、そして一審判決(2005年2月20日)直後の記者会見での発言が“「ババア発言」に怒り謝罪を求める会”を原告とする訴訟の対象となっている。
第1発言――“文明がもたらした最も悪しき有害なものはババア”なんだそうだ。“女性が生殖能力を失っても生きてるってのは無駄で罪です”って(東大・大学院教授、松井孝典氏の言葉の引用とか)。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子どもを産む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって……。(「週間女性」2001年11月6日号 誌上インタビュー)
第2発言――本質的に余剰なものは、つまり存在の使命を失った者が、生命体、しかも人間であるというだけで、いろんな消費を許され収奪を許される(略)。あれが実は、地球の文明なるものの基本的矛盾を表象している事例だよ。(2001年10月23日「少子化社会と東京の未来の福祉」会議の席上で)
第3発言――ほとんどの動物は繁殖、種の保存ということのために生きて、それで死んでいくが、人間の場合にはそういう目的を達せない人でも、つまり人間という尊厳の中で長生きするということで彼(松井氏)はかなり熾烈な言葉でいいまして(略)、それを私は他の座談会なりに、わかりやすく説明したつもりでありますけれども……。(2001年12月11日 東京都議会第4回定例会で出された代表質問に答えて)
紙幅の都合で、“石原発言に怒る会”447人の公開質問状および日弁連人権擁護委員会の警告書等は割愛するが、原告131名、代理人17名による「人権救済措置」を求めた、東京地方裁判所一審の判決(2005年2月5日)は、日本国憲法第14条1項や国連の女性差別撤廃条約第1条、第2条など、諸権利について「不法行為上(原告側が)保護されるべき利益にあたる」とは認めたものの、棄却。ついで原告113名が控訴した東京高等裁判所の判決(2005年9月28日)は、被告側代理人から「個々人の被害の認定において、発言の対象が多数の者であるが故に、個々への影響は“希薄化”される」との反論。その結果は、原告側の損害賠償(1人11万円)と6大紙への謝罪広告要求を棄却。判決文は「控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」と、たった10秒で終ってしまった。
2006年4月20日、原告92名は、新たに第二次石原裁判(東京地裁)を起こして今日に至っている。こんどは個々人がどのように人権を傷つけられ、無力感、絶望という損害を被ったかを、陳述書を提出し法廷に立った。対象は第4発言ともいうべき、一審判決直後の、石原都知事の定例記者会見時の発言(2005年2月25日)を含むものである。
第4発言――かなり熾烈な(松井氏の)論だったんで、取り次いで(略)、人の話を紹介したらね、紹介しただけで私が指弾の対象になるというのは、どうもよくわからないんだけど、まあ、いいじゃないですか、終ったんだから。
記者 要職にある知事としては不適切な発言だったという……?(略)
知事 僕は始めて聞いたことにショックを受けたから、それを取り次いだだけですよ、ある会合で。そこに変な左翼がいたんだよ。それが喧伝したわけだ。まあ、あれは裁判のための裁判で、あの人たちのパフォーマンス、その域を出ないね。
6月20日の法廷で、原告の1人Nさんは、その陳述の中でこう告発している。「『裁判のための裁判、パフォーマンス』という決めつけは、原告である私が根拠のないことで裁判を起こす人間だという非難を浴びせたものです。そして私が『ババア発言』裁判で訴えた被害や精神的打撃は偽りであり、なかったことだと言っているのです。『閉経した女が生きているのは無駄で罪』という前代未聞の為政者の発言は、子どもを産まずに生きてきた私に『死ね』というものです(略)。裁判に至ったのは『変な左翼』のせいという知事発言は、裁判を起こした私を『社会的に無視・排撃してよい存在』として更に否定し、私の社会的名誉を傷つけるものです(略)」と。
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