2006.11月

       
  知っていますか?人身売買の現状 その1  
 

「性を語る会」代表  北沢 杏子

 
       
   

 去る9月22日、「人身売買をなくすために――被害者保護と自立支援」の国際シンポジウムを聴きに行った。会場は東京・青山の国連大学エリザベス・ホール。アジア財団日本事務所主催、国連難民高等弁務官駐日事務所他の協力によるものである。会場は、テレビなどでよく見る国連の会議場と同じく、ぐるりと馬蹄形に席が並び、正面には大型スクリーンがあって、難民や人身売買犠牲者の映像、グラフなどが映し出されるようになっている。500名限定の会場は早くから満席、床の上に座り込む学生たちの姿も見受けられた。
 国際的ブローカーによる人身売買の犠牲者は、貧窮国の男性、女性、子どもと多岐に渡るが、ここでは主に女性に焦点をあてて書きたい。というのも、報告者が「受け入れ国」と指摘するたびに、年間10兆円産業といわれる売春許容国・日本に住む私たちの人身売買阻止への非力さを思い知らされたからだ。

 人身売買、密航、移住は、それぞれ違った形をとってはいるが、相互に関連している。例えば日本に移住労働して、その賃金を故国に送ることで家族を養いたいと考える人びとが、合法的な手続きによる移住が困難な場合、密航業者の不当な金額要求を呑んで密航を果たす。ただし密航だけの場合、渡航希望者本人が目的地への入国を果たした後は、密航業者と顔を合わせることはほとんどない。
 ところが人身売買の国際的ブローカーの場合は、移住だけが目的ではなく、長期にわたる性的労働の搾取を目的としている。だから、女性たちには移住後の職業の選択の自由もなく、売春宿、サウナ、マッサージパーラー、デリバリーヘルス(出張売春)、ときには街娼として働かされる。宿舎は監視人付きで厳しく(管理売春)、逃げようとすればリンチを受けたうえ、「故郷の家族を殺す」などと脅迫されるため、告発できないというのが実状だ。

 ここで、人身売買の変遷について報告したい。フィリピンを例に取れば、1974年、マルコス政権は、フィリピンの経済悪化を乗り切るため、一時的政策として“自国労働者を海外に輸出する”と発表。1982年には大統領令による海外雇用庁を設立。海外への職業斡旋業者を、雇用庁に登録することを義務付けると同時に、業者の監督・指導をする権限を与えた。こうして1980年代前半には、フィリピン女性たちが続々、日本の性風俗産業に送り込まれてきた。80年代後半は、新たにタイ女性たちが送り込まれるようになる。そして今日では中国、韓国、台湾、インドネシア、コロンビア、ペルー、トルコ、ロシア、モンゴルから、登録数200万人もが送り込まれている。
 「送り出し国」と「受け入れ国」の人身売買業者も、「国連人身売買禁止議定書※」制定以降、様変わりしてきている。例えば、「日本に働きに行かないか」と声をかけてくるのは、同じ村に住む顔見知りや親戚など身近な人である。このローカルコンタクトが連れて行くのは、前述の海外雇用庁に登録した、合法的に海外の仕事を斡旋する許可を得ている業者のところだ。

 ところで日本に入国する外国人は、すべて在留資格を取得済みでなければならない。そこで思いついたのが「興行ビザ」――エンターティナー養成学校を創設し、バレエや民族舞踊などのレッスンを受けさせ(訓練期間は1〜6ヵ月)、認定書を交付する。この間の受講料や寮費などの費用は、日本に移住してからの労働賃金(ストリッパー、ホステス、性産業)から差し引かれる。日本行きが決まった女性は、送り業者、日本側受け入れ業者の両方と契約を結ぶ。一見合法的滞在と受けとれるが、実際は日本に送り込まれた女性たちが、どのような状況下に置かれるかは想像に難くないだろう。更に巧妙な手口として近年脚光を浴びてきたのが「偽装結婚」による人身売買である。これについては次号で述べることにしたい。

※ 2000年「国際組織犯罪禁止条約」に付帯する条約として採択された

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