2007. 4月

       
  自爆攻撃は、なぜ、起こるのか?  
 

「性を語る会」代表  北沢 杏子

 
       
   

 観終って、衝撃のあまり席を立つことができない映画に出遭うことがある。イスラエルのパスポート(国籍)を持つパレスチナ人※ハニ・アブ・アサド監督/脚本の『パラダイス・ナウ』。この映画はパレスチナ人の親友同士の若者が、自爆攻撃に向かう48時間を追ったもので、毎日のように報道される「自爆テロ」の知られざる内面――攻撃者の心の葛藤と死と生の選択を余す所なく描いた佳作である。
 アサド監督は脚本を書くにあたって、自爆攻撃を実行した人にはもう話を聞けないからと、その遺族や自爆攻撃を計画する組織グループ、自爆に失敗してイスラエルの収容所に収監されているパレスチナ人のための弁護士らに会って話を聞いたと言い、“日本人の神風特攻隊の残した手紙も読んだ”とインタビューで答えている。
 「特攻隊の手紙は自爆攻撃者と非常に似ている部分がありました。“お国のため”と自分を納得させようとしながら、その文字の隙間に恐怖や悲しみといった、人間らしい面が多く感じられました」と。日本の特攻隊が(敵航空母艦に突っ込んで自爆するのが目的だから)帰る燃料を積んでいなかったのと同様に、自爆攻撃に選ばれたサイードとハーレドも、組織のアジトで『殉教の宣伝ビデオ』撮影後、ひげを剃り調髪し、黒のスーツにネクタイ姿になるが、そのワイシャツの下には、胸から腹部にかけて爆発装置が取りつけられる。「このベルトはロック機構。一度装着したら我々しか解除できない。外そうとすれば爆発する」と、組織のリーダーは2人の肩を叩く。
 
 ヨルダン川西岸地区を囲むフェンスをくぐり抜けると、目的地のテルアビブまでは、大金を掴ませたイスラエル人のタクシーが運んでくれる手筈になっており、2人は「友人の結婚式に行く」という口実で(自爆ベルトの着装が誰にも気づかれないように)盛装したのだった。
 結局、第1回目の計画は不首尾に終わり、第2回目の出発となる。2人には自爆を実行するかしないかの選択肢が残されていた。ハーレドは直前になって「やめよう」と親友に訴える。「サイード、聞いてくれ、抵抗も開放も別の手段がある。俺と一緒に帰るんだ!」だが、例の闇タクシーが迎えにきたとき、サイードはハーレドを押し込むやいなや、バタンとドアを閉めて独り残る。
 次のシーン――イスラエル兵士がぎっしり乗ったバスの中央座席に、自爆ベルトを着けたスーツ姿のサイードが身じろぎもせずに座っている。カメラは彼の顔に、そして両の眼に近づき、クローズアップで止まる――あとは音もなく字幕が上がってくるのみの、胸をえぐられるラストシーンである。

 サイードは難民キャンプで生まれた。10歳のとき、父親は占領側への密告者として処刑された。「父は善良だった。だが弱かった。占領者には僕の父を奪った責任がある。占領者はその代償を支払うべきだ。来る日も来る日も侮辱され無力感を感じながら生きていく。尊厳のない人生……世界はそれを遠巻きに眺めているだけだ。きみが何を言おうと僕はキャンプには戻らない」。これが“自爆攻撃者サイード”の選択だったのだ。
 アサド監督はこの映画のタイトルについて、パラダイス(天国)とナウ(現在)は共存しえない空間だが、と断わってから、こう答えている。「しかし、自爆攻撃者の場合、自爆した瞬間(現在)、天国にいける(と信じている)ので、これに限っては両立するのです」「また自爆攻撃者は、同じ瞬間に加害者になり被害者にもなるという、矛盾する二つの現象――普通は両立しないこの二つの現象が繋がるという意味を込めたのです」と。

※イスラエルの国籍をもつパレスチナ人は100万人。彼らは1948年のイスラエル建国を肝に銘じ、自分たちを「48アラブ」と呼んでいる。


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