私はいま、古居みずえ著『インティファーダの女たち――パレスチナ被占領地を行く(1996年 彩流社刊)』『ガーダ――女たちのパレスチナ(2006年 岩波書店刊)』を読み終わったところだ(インティファーダとは、アラビア語で蜂起の意)。
1948年、イギリスの植民地だったパレスチナ人の居住地は、国連の決議によってイスラエル建国の地となった。イスラエルがヨルダン川西岸とガザ地区を占領したのは1967年のことである。以来、占領地に住むパレスチナ人たちは、政治的、社会的な権利はもとより、人間的自由、人権をことごとく奪われてきた。
1987年12月8日、イスラエルの占領が続くガザ地区で、イスラエルのタンクローリー車とパレスチナ人の運転する乗用車が衝突。パレスチナ人4人が死亡、5人が負傷した。この事件は、占領され続けてきたパレスチナ人の屈辱の思いを爆発させる引き金となり、ジャバリア難民キャンプからデモが始まった。やがて大規模な抗議行動に発展。ヨルダン川西岸にも飛び火し、イスラエルへのインティファーダは占領地全体に広がっていった。(詳しいことは上記の著書を読んでいただくとして)、以後、何回か起こるインティファーダは、イスラム社会の絶対的家父長制から、次第に女たちに「力」をもたらしていく。
インティファーダの中心は10代、20代の若者たち、子どもたちで、ほとんどがイスラエル占領下の難民キャンプで生まれ育った世代である。闘争の手段は石を投げること。イスラエル軍の銃撃に対して、パレスチナの若者たちは、ただひたすら石を投げつけて逃げる。その石を運ぶのは女たちだ。
反抗分子として片っ端から逮捕され、収容所に引き立てられる息子たちの前に立ちはだかって、素手で抗議する母親たち。デモを繰り広げるスカーフをかぶった女たち……。こうした中で、やがて女たちは起業家としての「力」をも得ていく。
「外で働いたり、活動する女たちは確実に増えています。それは、インティファーダの闘いで男たちが逮捕されていなくなり、女たちがかわりに働いたり、闘い始めたからなの。女の子たちのデモに青年たちは参加していないけれど、よく見ると、通りには両サイドに青年たちが立っていて、イスラエル兵が来ると合図する。兵士が来たら石を投げて、女の子たちが逃げるまで時間をかせぐ。まさに男女が一緒に闘っているのよ」「こういう状況のなかで、“通りで男と話をしてはいけない”と言ってきた以前のイスラムのタブーは通用しなくなっている。(略)もはや、女も政治に関与せずにはいられなくなったのよ」と、女たちは訴える。
女たちは、乳児院や幼稚園の経営/シャヒード(インティファーダの犠牲者)の家族への訪問、経済的援助/イスラエル商品のボイコット/デモ、集会、政治意識を高める勉強会……と、「力」を得て、かつての男性優位の「支配」を取り崩していくのだ。こうしてパレスチナの女たちは「力」を自分のものとしつつあるが、この「力」を決して「支配」には繋げないだろう。女たちは、男によって支配され続けた何世紀にもわたるイスラム世界の歴史を、身にしみて知っているからだ。
ひるがえって日本はどうだろう?日本も同じく長い間、絶対的な家父長制社会の中にあった。女が参政権を得たのは、僅か60余年前のことだ。そして現在も、(特に最近の安倍政権のやり方を見ていると)政治=男=力=支配のもとに、女を含む弱者たちが屈従させられているように感じるのだが……。私だけであろうか。
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