「骨かみのうた」というのがある。国文学者で歌人(号、釈迢空)折口信夫(おりぐち
しのぶ)※の唯一の女弟子であった穂積生萩(ほづみ
なまはぎ)は、「折口信夫先生逝きたまう」の中で、
今日よりは 永久にへだたる。み車は炎の中に出で立ちましぬ※※
こりこりと乾きし音や 味もなき師のおん骨を食べたてまつる
と詠んでいる。火葬場で白骨となって運び出されたその乾いた骨を、音を立てて食べたという歌人生萩は、同性愛者であった師が晩年、愛娘のように執着した門下生である。
人はいつ、どんなきっかけで自分の死や死後を想像するようになるのだろうか。この「骨かみのうた」を読んだ私は30年ほども前、レンタカーを走らせて両親を能登半島一周の旅に誘った日のことを想い出す。
荒涼とした日本海を遥かに望む羽咋の松林の中に、折口信夫の小さな墓石はあった。父は旅に立つ前に大学時代の恩師の墓所を調べていて、「寄り道してほしい」と運転席の私に声を掛けたのだった。
その墓石はあまりにも小さな自然石で半ば砂に埋もれており、隣には「かくも激しき戦いに……」と刻まれた、硫黄島で戦死した藤井春洋(入籍して折口春洋)を偲ぶ哀切な歌碑が並んでいた。折口信夫は幾人かの同性の愛人を持ったが、この春洋を限りなく愛し、後に養子としている。
私が時折、自分の死や死後を想像するようになったのは数年前、この「骨かみのうた」の載った『執深くあれ―折口信夫のエロス』※※※を読んだときからのように思う。私は私の社屋の1階の小ホールの、正面ステージに向かって、左側に小さな扉をつけた。私が死んだら、このホールで「お別れの会」などが開かれるだろうから、会葬の方々が正面入り口から入って、左出口から路地を経て、帰路につけるようにとの早手廻しである。
ところで、前述の『執深くあれ』の中で、生萩は、折口信夫の会葬の方への返礼品は自筆を染め抜いた緑色ちりめんの帛紗だったと記している。
葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。この山道を行きし人あり
生萩は、この師のうたを「葛はどこにでもはびこる強いつる草で花は赤紫。(略)乙女の処女を失った際の鮮血とか、初経の赤い血の連想歌に違いなく、“赤紫の血のにじみを道に残して”葛の花が倒れている。その花を踏んでいった男のあとを迢空は歩く。山道を先に歩いていった“人”は男である」と解説している。
私の社から出した100冊余りのわたしの著書は、主に性教育、性暴力、女の性と人権をテーマにしたものであり、男による性暴力(DV)には敏感だ。もし、こんな帛紗を会葬の返礼品に手渡されたら、作者のエロスへの執着は十分にわかるのだが、怒り心頭に発してしまうだろうと思う。また、どんなに私に親愛の情を抱いてくれていたとしても、こりこりと、私の遺骨をかじられては痛いッ!に違いない。
さて、私の会葬の返礼品は何にしようか……などと考えるのは、ちと早すぎますかねー?
※ 折口信夫(1887〜1953)歌人、国文学者、民俗学者。 ※※釈迢空は「句読点のついた短歌」にこだわった。理由は「我々の愛執を持つ詩形の、自在なる発生の為である」と。 ※※※『執深くあれ―折口信夫のエロス』山折哲雄/穂積生萩(1997年、小学館)
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