2007. 12月

       
  国際正義遂行のために闘う カルラ・デル・ポンテ
 
 

「性を語る会」代表  北沢 杏子

 
       
   

 21世紀になっても、世界中のどこかで絶えることのない戦争と紛争。そこで起きた集団虐殺や“人道に対する犯罪”など、戦争犯罪を裁く国際刑事裁判所(International Criminal Court / ICC)が、2002年、オランダのハーグに設立された。ICC設立は、人類の課題である『武力支配の世界から、法が支配する国際社会へ』を実現する第一歩となった。

 ドキュメンタリー映画『カルラのリスト』(スイス人 マルセル・シュプバッハ監督)は、ICC設立に先立つ1999年、旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷(ICTY)およびルワンダ国際刑事法廷(ICTR)の検事に任命された女性、カルラ・デル・ポンテ(1949年スイス生まれ)の危険な正義遂行の勇姿を追ったものである。

 第二次大戦後成立したユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国は6つの共和国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)で構成されていたが、1991年のソ連崩壊によって、熾烈な数々の民族独立紛争が起こった。この映画の背景となっているのは、ボスニア共和国で1995年7月11日、指導者ムラディッチ率いるセルビア人勢力が、アルバニア系イスラム教徒が大半を占める炭鉱の街スレブニツァを包囲。女性、幼児を強制退去させたのち、約7,800人の男性を市内各地で虐殺して埋めた大虐殺事件である。
 停戦後、次々に発掘された大量墓地。生還した女性たちの証言から明らかになった民族浄化の手段としての強姦、強制妊娠、そして性奴隷制。しかもその残虐行為に関わった民兵が、紛争前までは被害者の隣人であり職場の同僚であり顔見知りであったというのだから、「民族浄化」というマインドコントロールに恐怖を抱くほかはない。

 この映画の撮影は2005年7月11日、スレブニツァ虐殺の追悼記念日から同年12月15日、カルラ検事が国連安保理の集会で演説を行なった日までの5ヵ月間。その間、戦犯の秘密調査が洩れないよう、撮影許可が出たのは30日間だけだったという。
 カルラ就任早々、彼女が率いる検事局はアルバニア系住民に対する集団虐殺の責任者として、当時の大統領ミロシェビッチを「人道に対する罪」で起訴、身体拘束という快挙を成し遂げたが、裁判が長引く中、2006年3月に獄中死し、真相究明は頓挫してしまった。
 それもあって、『カルラの戦争犯罪人リスト』にある戦犯のうち、まだ6名がどこかに潜伏、拘束できないでいる。カルラ率いる検事局は専門家のチームによって独自に調査・折衝を行なっていて、警察力はないので犯罪者の最終的な拘束は各国の協力に委ねるほかはなく、セルビア政府はこれに応じようとしない。
 2006年、EU首脳会議はセルビア共和国に対し、EU加盟交渉を開始する要件として、カルラ等が要求している戦争犯罪人の引渡しを要請したが、拒否されたため、EU加盟交渉開始の手続きを中断、今日に至っている。
 
 カルラ・デル・ポンテ――偉大な女性だ。彼女は国連安保理の集会でこう演説している。「大量虐殺、人道に対する罪は、一国家の法体系を越え、国際正義の名の下に訴訟されるべきである」。そしてカメラに向かってこう宣言した。「怖いものなど一切ありません。ときどきうまくいかないこともありますが、それでも私は立ち止まらず働き続けます。諦めません。私は前に進むのみ!」と。

 前述の2002年、ハーグに設立された国際刑事裁判所(ICC)に、日本は2007年10月1日、ようやく105番目の国として正式に加入した。現在、ICCには、ロシア、中国、スーダン、ミャンマーは加入していない。クリントン政権時に1度サインしたアメリカは、9.11以降、大統領ブッシュが署名を撤回。イスラエルもアメリカに歩調を合わせて撤回した。カルラの果敢な闘いは続く……。

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