ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、国土面積約51,000平方キロ(九州+四国程度)、現在の人口は約400万人、人口比はボスニア人44%(イスラム教徒)、セルビア人31%(セルビア正教徒)、クロアチア人17%(カトリック教徒)となっている。
映画『サラエボの花――原題グルバヴィッツァ――(女性監督・脚本/ヤスミラ・ジュバニッチ)』は1992〜1995年に起こった民族紛争の現在を描いた衝撃的な作品である。この映画の原題「グルバヴィッツァ(地名)」は、1995年7月11日、指導者ムラディッチおよびカラジッチが率いるセルビア人勢力が、アルバニア系イスラム教徒が大半を占める炭鉱の町グルバヴィッツァを包囲。女性、幼児を強制収監した後、約7,800人の男性を市内各地で虐殺して埋めた大量虐殺の地だ。セルビア人勢力は男性たちを殺すと同時に「民族浄化」の名の許に、収容所の女性たちを集団レイプ。強制妊娠させ、後世に影響を残すことを作戦として組織的に行なった。
映画のファーストシーンは、哀しくやさしい女性の歌声をバックに、民族模様のカーペットの上に大勢の女たちが、さまざまな形で寄りかかり寝そべって、セラピーを受けている場面から始まる。カメラはその中の1人、シングルマザーのエスマの虚ろに見開かれた眼をとらえる。このセラピーに参加すると、12年前の紛争時に傷ついた女性として80ユーロ(約13,000円)が支給されるのだ。彼女は娘のサラ(12歳)の修学旅行の代金300ユーロの前借りをセラピストに頼むが断わられる。
娘サラは個性的で活発な少女だ。雪の校庭で男子生徒に混じってサッカーのボールを蹴り、クラスメートのサミル少年と取っ組み合いの喧嘩も辞さない。仲裁に入った担任教師から「両親に学校に来るように」と言われたサラは、「ママはガンで静養中、パパは殉教者よ」と公言する。シャヒードとは、12年前にセルビア勢力と戦って死んだ者を讃えるイスラム教世界の称号だ。サラはその後、サミル少年の父親がシャヒードであることを知って、互いに好意を抱くようになっていく。
母親のエスマは医師を目指していた青春時代に、この内戦に遭って挫折。いまはナイトクラブのウェイトレスとして僅かな賃金を得ながら、ささやかな母子家庭を営んでいる。この映画の中で不審な気持ちに襲われるのは、彼女が日常生活の中で、ふと怯える場面が何度か出てくることだ。娘のサラとふざけて床に押し倒されたとき、通勤のバスの中で、前に立った男のシャツのはだけた隙間から胸毛がみえたとき、ナイトクラブで踊り子の豊満な乳房を男の客が撫でまわすのを目撃したとき……その度に、彼女が精神安定剤を服用している様子も描写される。
ある日サラはサミル少年に爆撃跡の建物に案内される。彼はそこに隠してあった殉教者の父親の形見の拳銃を取り出し、サラに射撃法を教える。
修学旅行の日も迫ったある日、「シャヒードの証明書を提出すれば旅行費用は免除される」と担任から聞かされていたサラは、母親のエスマに「なぜ、パパの証明書を取ってこないのか」と迫る。母親は、親友が職場の仲間から集めてくれたカンパで、すでに300ユーロを学校に納めてあったのだが……。
サラはサミル少年から預った拳銃を母親に向けて訊問する。「パパはどこで死んだの?死んだ場所は?」「言えないの?私にウソをついていたのね?」「本当のことを言って!本当に殉教者なの?」母親のエスマは遂に叫ぶ。「そんなに知りたいか?だったら本当のことを教えてやる。おまえは私が収容所でレイプされて妊娠した子どもなんだ!」「ウソ!私のパパはシャヒード!シャヒードよ!」あまりの過酷な運命に泣き叫ぶサラ。
翌日サラは、美しい髪をバリカンで剃り落とし、丸坊主になってしまう。
修学旅行出発の日――バスに乗り込む生徒たち。見送る母親たち。丸坊主のサラは、水色のリボンを頭に巻いてバスに。母親はそんな娘を強く抱きしめる。発車するバスの最後部の座席から、サラが母親に向かって手を振る。遠ざかるバスに『サラエボ・マイ・ラブ(ぼくの幸せ きみの愛 サラエボ ぼくの愛……)』の歌声がかぶる。
〈後記〉ジュバニッチ監督は、この作品がベルリン国際映画祭で「金熊賞」を受賞したときの挨拶で、ボスニア内戦時、セルビア人勢力の政治・軍事責任者で旧ユーゴ国際戦犯法廷から戦犯として起訴されているカラジッチとムラディッチがまだ逮捕されていないこと、2万人の女性が「集団レイプ」の犠牲になったことに触れたりしたため(月替わりメッセージ07年12月参照)、政治的意図をもった映画とみなされ反発も受けたが、有識者たちによって「この映画は戦争の中で押し流された人々運命に関する心の篭った作品」と、高い評価を受けた。
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