性感染症のクラミジア感染者は120万人。HIV(エイズウィルス)感染者も年間推計3,000人で先進国では第1位といわれ、人工妊娠中絶も年間30万件弱。10代はその10%の約3万件を占めるという日本――その予防のための知識の普及と、自分のからだは自分で守る=保健行動の選択ができる10代の自覚を促す教育こそが、いま、教育現場でバッシングの渦中にある性教育である。
厚生労働省は現在約15,000人のHIV感染者・患者の増加を食い止めようと、全国の保健師、助産師ら専門職を各地域の中学・高校に派遣して出張授業を行なうよう、学校側にはそれを受け入れるよう勧告している。
学校教育と保健師の連携――これが実現すれば、10代の不本意な望まない妊娠や中絶、性感染症罹患のリスクが激減することは確実だ。その例を1970年代のスウェーデン・ゴットランド島の高校教師マルクス・マトソンと市立病院婦人科部長で女医のイングリッド夫妻の実践をもとに紹介したい。
ゴットランド島は、スウェーデンの首都ストックホルムからプロペラ機で45分。紺碧のバルト海に浮かぶ南北220キロ、人口55,000人、その主都ヴィスビーは中世の城壁の残る美しい島だ。9世紀から11世紀にかけて、バイキングたちはここを拠点として略奪や交易を行なったし、次にやってきたハンザ同盟のドイツ商人たちは、ここに築港して北欧や東欧諸国との貿易を行ない、巨万の富を築いた。ヴィスビーの城壁は当時のハンザ同盟の商人が自分たちの財産を守るために築いたもので、現在は文化財として管理、保存されている。
イングリットとマルクスは1969年、『望まない子どもは生まない、生ませない運動』を発案し、実践・展開・統計をもとに、モデル県として国庫予算を獲得。遂に法改正にまでもっていったすばらしいカップルだ。私は1972年、75年、78年と3回にわたってゴットランド島に飛び、その活動の一部始終を取材してきた。
まずは、この二人の人物像の紹介から始めよう。マルクスは大学で地質学を学んだが、卒業論文に化石の研究を選んだことから、4億年前の化石の宝庫といわれるこの島の魅力にとりつかれ、大学を出ると島でたった一つのヴィスビー高校の生物教師になった。一方、ストックホルムで育ったイングリットは医大の学生時代に恋愛し、20歳で第1子を、彼と別れたあと第2子を生んで病院に勤務。仕事と子育てのなりふりかまわぬ暮らしを乗り切ってきた。「つまり、私が島における避妊運動に奔走しているのは、すべて私自身の経験に根ざしているわけ。かつての私のように何の知識もなく、恋愛したり妊娠したりしてはいけない。正しい知識なしでは女性の自立はありえないのだから」と彼女は言う。
イングリットとマルクスの出会いは、まったくの偶然だった。ストックホルムで開かれたRFSU(スウェーデン性教育協会)の研修室で机を並べた二人は、たちまち意気投合。イングリットは当時13歳と10歳の2人の子どもを連れて、島に住む若いマルクスのもとにやってきた。彼女は島でただ一つの市立ヴィスビー病院の産婦人科に勤務。2人のあいだにモーリン、マリアの2人の娘が生まれた。「高齢出産だったけど、マルクスは初婚だし、彼にも父親になる権利はあるんだものね」と屈託がない。島ぐるみの避妊運動についても、「彼が生物の教師で私が産婦人科医。避妊運動には、おあつらえ向きの結びつきだったわけ」と、笑い転げるのだ。
確かにこの結びつきは効果的だった。彼は高校生たちに、性交・受精・妊娠・避妊・中絶について徹底的に教え、イングリットは病院で避妊法の指導、避妊具の配布、中絶手術の実施、と大活躍。マルクスは生徒から避妊や中絶の相談を受けると、イングリットの病院に送り込み、イングリット自身も高校に出張授業に出向くという、水も漏らさぬチーム・ワークが、10代の望まない妊娠の抑止効果を上げていった。 〜
つづく 〜
左からマルクス、モーリン、イングリット
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