2008. 10月

       
 


河野洋平衆院議長引退に際して、

          ぜひ、記しておきたいこと

 
 

「性を語る会」代表 北沢 杏子

 
       
   

 河野洋平衆院議長は2008年9月18日、神奈川県のホテルで記者会見し、次期衆院選には出馬せず、政界を引退すると表明した。そして、宮沢内閣官房長官だった1993年に「従軍慰安婦」問題で『心からのお詫びと反省』の談話を発表したことについて、「今でも極めて重要な談話だったと思う」と振り返った。この談話以降、「慰安婦」の強制を否定するタカ派政治家グループからの圧力は大変なものだった。
 中でも、前々首相安倍信三氏は組閣直後の2006年10月3日、「“慰安婦”問題については河野官房長官談話を継承する」と言いつつ、翌2007年3月16日の訪米前には「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による狭義の強制連行を裏付ける証拠はなかった」と、強制否定の二枚舌。今回の暴言続発で辞任に追い込まれた麻生内閣の中山成彬元国土交通相も、文科相時代、「歴史教科書から従軍慰安婦や強制連行の記述が減って本当によかった」などと発言する右翼政治家の中心的人物の一人だった。

 だが、河野談話は、海外では大きな評価を得た。この問題は米下院外交委員会に提出された『旧日本軍性奴隷制“慰安婦”問題新決議案」採択によって、「戦時の女性への性暴力」および「20世紀最大の人身売買」として、日本政府に対し公式謝罪と賠償要求へと発展。これに呼応してオランダ下院(2007年11月8日9)、カナダ下院(同年11月28日)、EU欧州会(同年12月13日)、フィリピン下院(2008年3月11日)が、同様の決議を採択。いまや、この問題は戦時性暴力根絶のシンボルとして、国際的に拡大しつつある。
 私は今年6月、『日本軍性奴隷制「慰安婦」問題16年間の記録――1991〜2007年――』という小冊子を上梓したが、その第1頁に「これが、河野内閣官房長官談話(1993年)の全文です」を載せた。河野談話は、折に触れ報道で扱われるが、その全文は殆ど知られていないのではないか?河野洋平氏が右翼連のバッシングの渦中にあって、じっと耐えてきたであろう心中を想い、ここに記録として全文を転載する。

これが、河野内閣官房長官談話(1993年)の全文です!  文責 北沢杏子
 「いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より調査を進めてきたが、今般、その結果がまとまったので発表する。今次調査の結果、長期にかつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設置されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。
 慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行なわれた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府はこの機会に改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負わされたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 我々はこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。我々は、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも民間の研究を含め十分に関心を払って参りたい」

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