「米国は核保有国として、核兵器を使用した唯一の核保有国として行動すべき道義的責任がある。(略)きょう私は、はっきりと確信をもって述べる。米国は核兵器のない世界という、平和と安全を追究することを約束する。この目標はすぐには達成できないだろう。(略)しかし私たちは、世界は変えられないという声を無視しなければならない。私たちは『イエス・ウィ・キャン(そうだ、やればできる)』と主張しなければならない」。
去る4月5日(2009年)、オバマ大統領はチェコの首都プラハで行なった核兵器に関する屋外演説で、こう述べた。歴代の米政権は、1945年8月の広島、長崎への原爆投下を正当化し、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、そしてアフガニスタンでも、核兵器使用も辞さない政策をとり続けてきた。ブッシュ前政権は、核兵器の先制使用戦略を公言し、核兵器廃絶を拒否。その前のクリントン大統領は1995年4月、「広島・長崎への原爆投下は間違っておらず、米国は謝罪する必要はない」とまで主張してはばからなかった。今回のオバマ発言は、文字通り「チェンジ!」を目指す、すばらしい決断といえよう。
これを受けて4月8日、民間の学者・研究者でつくる米科学者連盟(FAS)と、科学者・法律家・環境問題専門家らが参加する天然資源防衛評議会(NRDC)は、核兵器廃絶に向け、米国の政治転換を迫る現実的な核政策提言を発表。「現在の核ドクトリンを見直し、攻撃用の核兵器を廃棄して限定的な抑止の任務を持ったものに置き換え、これを核兵器ゼロへの移行的措置とすべきだ」との構想を示した。この新政策発表にあたってNRDCのロバート・ノリス氏は「オバマ大統領はすでに、核兵器のない世界に向けたアメリカの責任を表明し、第一歩を踏み出した。われわれは軍縮を現実とするために、米国の政策で最も必要とされる転換を示したのだ」と述べている。
去る4月5日の北朝鮮のロケット(?)打ち上げにもみるように、地球レベルの核拡散・核攻撃の危険は高まる一方だ。核兵器を保有する国は増え、実験は続き、闇市場での核開発、核物質の取引は頻繁に行なわれている。オバマ大統領も上記の演説で「(核廃絶は)おそらく私の生きている間にはできないだろう。忍耐と粘り強さが必要だ」とし、しかし「イエス・ウィ・キャン」と結んでいる。
私はいま、バラク・オバマ自伝『マイ・ドリーム(Dreams from my Farther)』(訳 白倉三紀子/木内裕也他、ダイアモンド社 2007年12月刊)を読み終ったところだ。彼が複雑な生い立ちの中で、常に苦闘し勝ちとってきた「正義」の物語は、450頁の分厚い本にもかかわらず、息もつかせず読了するに充分な内容だった。大統領就任の直後に、即、「グアンタナモ強制収容所閉鎖」を発表。テロ容疑者に対して行なった水責めなどの拷問行為を正当化したブッシュ政権の秘密文章も開示した(4月16日)。この実行力を見ても、核廃絶、世界平和への夢も実現不可能ではないと思えてくるのである。
同じ頃の4月9日、日本では文部科学省が、2010年から使われる教科書の検定結果を公表。日本の侵略戦争を美化する“新しい歴史教科書をつくる会”(藤岡信勝会長)のメンバーが執筆した中学校の歴史教科書(自由社発行)が合格した。合格した教科書は日本の侵略戦争について、自衛のための戦争で、植民地だったアジア諸国の独立につながったと記述。早速、かつて日本の植民地にされ辛酸をなめた韓国政府からクレームがついた。
日本の現政府・政策では「ドリーム」なんぞ、ひとかけらも持てない。バラク・オバマ氏のような人物が現われることを切望する!が、それこそドリームなのかもしれない。クシュン!
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