2009. 6月

       
 

PTSD(心的外傷後ストレス障害)から薬物依存へ
――母と息子の30年間の物語――


 
 

「性を語る会」代表  北沢 杏子

 
       
   

 去る3月14日、私が代表を務める「性を語る会」主催のシンポジウム「大麻はキケン なぜ?」が開かれた。その日のシンポジストの1人、千葉マリアさん(58歳、サルビア家族会代表)は、薬物依存に陥った息子K君と母親としてのマリアさんの苦悩の30年間を物語った。彼女は歌手として16歳で芸能界に関わるようになり、やがて結婚してK君を生んだが、夫は子持ちでアイドルデビューした妻に違和感を抱いたのか、離婚。かといって一流の歌手になるためには、幼いK君を置き去りにして「仕事に行ってくるね」と地方巡業に出かけざるを得ない日々だったという。マリアさんは告白する。
 「いきなり母親がいなくなったら、子どもには震えるほどの恐怖だったでしょうね。すでに離婚していて父親の愛情も知らなかったわけですし。さらに付け加えると、私自身、幼児期に母親に愛された記憶がないし、兄や姉とのきょうだい愛の記憶もない。ですから、私自身がACという病をもっていたのだとおもいます」と。

 ACとは『AC(アダルトチルドレン)完全理解』(信田さよ子著 三五館 1996年5刷)の中で著者は、「ACという言葉は私たちの生まれ育った家族における親の影響、親の支配、親の拘束というものを認める言葉――つまり私たちは、まったく純白のところから色をつけられたのではなく、親の支配のもとにあって影響を受けながら、いまの私があるのです」と解説している。幼いころから家族愛を受けなかったマリアさんは、K君に「精一杯の愛を注いでいたつもり」だったが、K君は常に孤独で、安全な親子関係の結合関係が粉砕したとき受ける心的外傷(PTSD※)を負いながら成長していった。K君が中学2年生のとき、さらに事件が起こる。マリアさんが妻子をもつ有名タレントとの間で妊娠。中絶を迫る彼に逆らって出産したのだ。マリアさんは言う。
 「息子は中2で大切な時期でしたが、親の身勝手で、子どもは1人よりも2人のほうが“私が死んだあと淋しくないだろう。せっかく与えられた命だから産んじゃおう”と決めたんです。その頃からKは『てめぇ、このヤロウ!』と言い出すようになりました。『誰のこと言ってるの?』『あんたのこと、てめえだよ!』と言われて、これから何か怖いことが起こるのでは?と予感しました」と。

 予感は当っていた。K君にしてみれば、誰の子かわからないような赤ん坊を産んで、その子も家に置いて巡業に出かけていく母親の後姿にツバでも吐きかけたい思いだったろう。タバコに始まってアルコール、大麻、覚せい剤、コカイン、MDMA、LSD……と薬物の深みにはまっていった。そして28歳頃からオランダ、ハワイ、ニューヨークと薬物が入手しやすい国を転々とする。
 2年後、マリアさんは心配のあまり単身ニューヨークに飛んだ。そして、ガリガリに痩せ、うつろな眼をした男がフワフワと近づいてくる……そんな薬物依存症の息子と再会したのだった。「『俺が一緒に帰るとでも思っているのか。帰れよ、ビッチ!』と言われて、妻帯者の子どもを産んだ私はビッチなんだと、途方にくれながら1人で帰国した私でした」と、マリアさんは過去を振り返る。
 それから8年――帰国し入退院を繰り返したあと、K君はダルク※※に繋がることで回復。この7年間、薬物を断っており、日本ダルク・トゥディハウス施設長として、薬物依存症者の家庭を訪問してダルクに繋げるインターベーションという役割や、週1回、刑務所に入所中の受刑者対象に覚せい剤の教育を行なっているという。一方、母親のマリアさんは、現在も歌手生活を続けながら、薬物依存症者の家族の苦しみを分かちあい支援する「サルビア家族会」の代表を務めている。
 私たちは、自分の身にも起こりうる可能性が十分にあるこのエピソードから何を受けとめ、どう自他を愛していくべきなのだろうか。


※「心的外傷(PTSD)と回復」(ジュディス・ハーマン著 中井久夫訳 みすず書房)
※※ DARC : Drug Addiction Rehabilitation Center。薬物依存者の薬物依存症からの回復と社会復帰支援を目的とした民間のリハビリ施設。



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