2010. 3月

       
 


そうだ!葉っぱを売ろう 

「おばあちゃんたちの葉っぱビジネス」を訪ねて――

 
 

「性を語る会」代表 北沢 杏子

 
       
   

 1986年には年間116万円だった売り上げが、20年後の2007年には28億2,250万円。今年中には30億円に届くのではないかと予想される徳島県上勝町の、おばあちゃんたちの「彩ビジネス」を取材した。
 “いろどり”とは、高級料亭などの日本料理の皿にさり気なく添えられる青紅葉や柿の葉、南天の葉や桃の蕾のついた小枝などをいう。高級料亭でなくてもスーパーの刺身パックやにぎり寿司に添えられた柿の葉や南天の葉に気づいた方はには、おわかりだろう。
 この人口僅か2,000人余の上勝町に、1979年、徳島農大を卒業したばかりの横石知二青年(20)が農協の営農指導員として着任する。日本中どこにもみられる過疎高齢化の典型的な地域で、農家が400戸、65歳以上が48%、2人に1人が高齢者という山村だ。横石氏の著書によると、着任してまず驚いたのは、山や畑で働く60〜70歳代の男衆の何人かが、朝っぱらから一升瓶を下げて農協や役場に集まり酒を呑んで、補助金がいくらだの、国が悪い、役場が悪いだのと、延々と愚痴をこぼし、女衆は女衆でどこかの縁側に集って「嫁の悪口」を言い合っているという風景だった。

 彼が着任して2年目の1981年2月、気象観測史上2番目といわれる異常寒波(最低気温零下12度)が上勝町を襲った。この地域の主要産業だったミカンの樹液は一気に凍りつき、全栽培面積の82%が枯れてしまった。営農指導員の彼は農家を一軒一軒まわってミカンに代わるワケギやホウレン草、切り干しイモなどの栽培と出荷を進言したが、季節物だけの収入では食っていけない。若者たちは都会へと去り、目に見えて過疎高齢化が進んでいく……。
 そんなある日の1986年10月、野菜やスダチを大阪の青果市場に出荷しに行っての帰り、難波の「がんこ寿司」に立ち寄った彼は、女子学生らしい3人連れが、出てきた料理の皿に添えられた赤い紅葉の葉をつまみ上げて「わっ、カッワイイーッ」「持って帰ろう」と、ハンカチの間にそっとたたんで、バッグに入れるのを目撃する。「これがかわいい?こんな葉っぱが?上勝の山に行ったら、いくらでもあるのに……。そう思った瞬間、ピッ!とひらめいた。そうだ、葉っぱだ!葉っぱを売ろう!」と。
 以降、彼の血のにじむような高級料亭への取材が始まる。料亭では、こうした添え物を“つま(妻)もの”といって、料理人が山から葉や花を摘んでくるのだという。周囲を山に囲まれた上勝なら“つまもの”なぞ身近にいくらでもある。しかも1年中、季節を先取りした野の花や草、葉っぱを市場に出せば、料亭相手に高値で売れるに違いない。こうして再度、農家を一軒一軒口説き落として、いまや天下の「上勝のいろどり」、年間売り上げ30億円となったのだった。

 2月(2010年)、徳島県に講演に出かけた私は、徳島市在住の友人の車で、トンネルを抜け川を渡り、くねくねと曲がった山道を上りつめて、菖蒲増喜子さん(83)、清さん(82)夫妻の作業場に辿りついた。ビニールハウスの中の数個の大きな桶の中に、桃の蕾のついた小枝の束が入れてあって、その枝先10数センチのところを増喜子さんが鋏で切り取り、箱に入れている。ハウスの隅には、まだ固い小さな蕾をつけた桜の枝の桶が数個置いてあり「桃が終ったら、つぎは桜なんよ」と、夫の清さんが嬉しそうに説明してくれた。
 増喜子さんについて坂道を少し登り自宅の作業所へ行く。増喜子さんは箱の中の桃の小枝を選び、トレイに12〜15本くらい並べ入れて、発泡スチロールの大きな箱に10個収めた。これで1箱2,000円。10箱出荷すれば2万円になる。作業室の隅にはパソコンが置いてあって、いまは「株式会社いろどり」の社長になった横石知二さんの事務所とやりとりをする。83歳の増喜子さんはパソコンの手際も上々。おばあちゃんビジネスの優等生だ。しかも、かつては男(夫)に「アゴで使われていた女(妻)たち」が、今は男(夫)を「アゴで使う自立した女(妻)たち」に変わり、上勝町の高齢の夫婦仲はいっそうよくなったというから、めでたい。

 このあと私は事務所を訪問し、「過疎地に奇跡を起こしたカリスマ」として各種の受賞に輝く横石知二さんにインタビューした。私が最も共感したのは、上勝の60〜95歳のおばあちゃんたちが年間数百万からの収入をあげ、所得税を払い、その日その日の相場をパソコンで知って、出荷の量を考えるからボケもせず健康そのもの。医療費や介護保険もほとんど使わないとか――これこそが理想的な高齢化社会のあり方だと一途に邁進してきた横石氏の信念だった。

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