昨2009年7月に「改定」された臓器移植法が、今年の7月から施行される。私は「脳死は人の死」と断定することに疑問を持つが、といってWHOが懸念する渡航しての臓器移植も問題であり、それぞれ自国内で、ドナー(提供者)とレシピエント(受容者)への深い理解と感謝のもとに行なわれるべきではないかとも思う。
ここに映画化もされている2つの小説から、この難問を考えてみたい。
■「私の中のあなた(原題 My Sister's Keeper)」ジョディー・ピコー著(早川書房 2009年刊)
消防士の父ブライアンと弁護士の母サラの間の第2子ケイトは2歳のとき、急性前骨髄球性白血病と診断される。夫婦は悩んだ末、遺伝子操作でDNAが同一の第3子を生む決断をする。この第3子アナが13歳になったある日、「勝訴率91%」の辣腕弁護士キャンベルを訪ね、デスクの上にポケットマネーをどんと置いて言う。「あなたを雇いたい。告訴の相手は父と母だ」と。その理由は?
アナは姉ケイトのドナーとして、出生時に臍帯血を、5歳でリンパ球を、6歳で顆粒球を、8歳で骨髄液をと、つぎつぎに提供してきた。その度に全身麻酔をかけられ、10数本もの針が刺されて入院もした。「その上、今度は腎臓を提供してほしい、と言われているの。ママから」とアナは唇を噛む。「私はホッケーのゴールキーパーなのに、腎臓を一つあげちゃったら、生涯スポーツを控えなきゃならない。だからNo!の訴訟を起こしたい」と。
審判廷で、原告アナの代理人にはキャンベル弁護士が、被告側の両親の代理人には母親のサラがあたった。最終審で「判決を下せるのはアナ自身だ」との裁判官の判決により、アナは勝訴する。ところが――。
その法廷からの帰路、キャンベル弁護士の運転する車が追突事故に遭い、救助に駆けつけた消防士の父親が目撃したのは、頭部に重傷を負った助手席のアナの姿だった。病院に搬送されたアナは脳死状態であり、やがて人工呼吸器が外される。アナの臓器はケイトや他の重症児たちへと移植される。
そして8年後――ケイトへの臓器移植は失敗だったが、その後、奇跡的に回復の一途をたどり、24歳のケイトは健在……というところで終るのである。遺伝子操作でドナーに適した子どもを生む――架空の話ではなく、近い将来、現実となるかもしれないこの空恐ろしい小説は、アメリカでベストセラーとなった。
■「闇の子どもたち」梁 石日著(幻冬舎 2004年刊)
タイの北部、山岳地帯の寒村にトラフィッカー(人身売買ブローカー)のチューンは車を走らせる。タイ政府から通行証をを発行されない(国籍を持たない)北部山岳民族は、極貧の暮らしを余儀なくされている。チューンは2年前、当時8歳だった姉娘を買った家に立ち寄り、こんどは妹のセンラー(8歳)を12,000バーツ(36,000円)で買う。さらに、タイとカンボジアの国境沿いにある難民キャンプで5人の子どもを買うと、バンコクの繁華街から離れた古い3階建のドアを叩いた。
家の地下には7、8歳から12、3歳の子どもたちがチェーンで足をつながれ軟禁されていた。ここは世界各国のペドファイル(幼児性愛者)が集まる有名な店だった。日本人も含めた各国のペドファイルたちの惨酷なまでの幼児買春の描写には思わず吐き気をもよおすが、それは措いて、臓器移植の話に移ろう。
欧米や日本からこの国に、金にものを言わせて手術を受けに来る人びとがいる。「欲しがるその大半は子どもの臓器です」と臓器売買の仲介人は言う。ドナーにされるのはストリート・チルドレンや強制売春の幼い子ども、難民キャンプから買ってきた子どもたちだ。
ある日、日本人の母親が10歳の男の子を連れてバンコクの空港に降り立つ。元やくざの仲介人から「タイの一流病院では、すでに数百回の心臓移植手術が行なわれており、アメリカの先端技術に劣らない。礼金と引き替えに、病院への連絡も現地のマフィアを通じて行なう」と聞かされた。一刻を争うわが子の病状に、母親はタイ行きを決行する。そして――。
紳士風に装った男に手を引かれて病院のドアの向こうに消えたのは、あの8歳のセンラーだった。
この2つの、しかも映画化までされた小説をどう考えるか?臓器移植法施行に当って真剣に討議したい。
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