アカデミー賞、ゴールデングローブ賞他の賞を受賞した映画『プレシャス』(原題 Push:サフィア著)を観た。舞台は1987年のニューヨーク市ハーレム地区。アフリカンアメリカン(黒人)の16歳の少女クレアリース・プレシャス・ジョーンズは、体重90数キロはあると思われる肥満体をゆすりながら、ノッシノッシと地元の高校に通っている。現在妊娠中、それも実父による近親姦の結果の妊娠だというのだから驚く。
さらに悲惨なのは、もう既に、12歳で産んだ3歳になるダウン症の女の子がいて(これも実父のレイプによる)、祖母が育てている。このどうしようもない父親は現在行方をくらましており、薬物依存症らしい母親は、プレシャスを小間使いのようにこき使い、虐待の限りを尽す。
同じ1987年、私はハーレムで取材している。なかでも、乳幼児を抱いた数人の15〜16歳の少女たちを集めて、「母親代り」を名乗る黒人女性が、定期的に行なっているワークショップの取材は衝撃的だった。当時ハーレム地区に住む少女グループの親たちは、アルコールや薬物依存症、精神疾患などで失業しており、市の生活保護を受けて暮らしていた。このような劣悪な環境での生育暦は、彼女たちに自己肯定感を喪失させ、「どうせわたしなんか!」と、投げやりで、妊娠して出産し「生活保護対象者」となる子が少なくなかった。
この悪循環を断つことを目標に、市は公立学校に育児室を設置し、放課後は自己評価を向上させるためのワークショップを計画したという。こうした支援によって「自信を取り戻し、『自立』への道を見出していくんですよ」と、教育担当の女性が話してくれたが、映画『プレシャス』は、私が取材した当時の少女たちの姿そのものだったから、この救いようのない現状から、どのようなプロセスを経て再出発していくのか?に注目したのだった。
映画の話に戻ろう。娘プレシャスに家事一切をやらせ、悪態をつきながらアルコール浸りになっている自堕落な母親は、夫による娘への性虐待も「お前は私から夫を奪った」などと見当違いの暴言を吐く始末。一方、学校からは、プレシャスの妊娠が発覚して退学処分にされる。
仕方なく彼女はオルタナティブスクール(代替学校)に転校。“イーチ・ワン・ティーチワン”――プレシャスのような問題児が通う学校だ。初めこそ反抗的でふてくされていた彼女も、同じような生育暦を持つ仲間たち、そして辛抱強く読み書きを教え、「あなたの得意なことは何?」「あなたがどう感じているかを話して」と、優しく問いかけるレイン先生の対応に、徐々に心を開いていく。
さらにソーシャルワーカーのワイズさんの「私はあなたのことが知りたい」というメッセージも初体験だった。母親からの身体的、精神的虐待、父親からの性虐待に耐えて生きるためには「私が私であること」を放棄しなければならなかった。だから、「あなたのことを知りたい」という他者に出会って初めて、「自分のことがわからない自分」に気づき、自分を取り戻すこと、自分自身を愛することに目覚めていく……。
やがて出産。狡猾な母親は、生活保護費の増額を要求するために、3歳のダウン症の子を連れ戻し、生まれたばかりの子を抱くプレシャスを迎えに来る。そこでまたも衝撃的な事実が……。父親がエイズで死亡したと。そして検査の結果、プレシャスにもHIV感染が告げられる。
だが、彼女は毅然として母親の許に帰るのを拒否する。そして、ダウン症の娘の手を引き、新生児を抱いて、新しい人生への一歩を踏み出すのである。
※原作のタイトルは『プッシュ』――何がどうあれ自分自身をプッシュして、新しい第一歩を踏み出そうとする彼女の決意がこめられている。
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