2010. 10月

       
 

クラスター爆弾禁止条約が発効

――私が見てきた、ラオスのクラスター爆弾による被害と
不発弾処理班 UXO LAOの活動――
そのU

 
 

「性を語る会」代表  北沢 杏子

 
       
   

 シェンクアン省立病院の院長が案内してくれた病室には、5歳の男の子が横たわっていた。3日前に畑の中に埋まっていた不発のボール爆弾を足で蹴って爆発。左足のふくらはぎ全体に何十個という鋼球がめり込んで、一面黒い斑点になっている。

 治療は、順次少しずつ摘出していくほかはないという。院長は、「ひとりで遊びまわるこのくらいの年齢の子がいちばん危険です。小学校にあがれば、人形劇やクイズなどで、毎日のように教えられるので用心するのですが……」と首を振った。
 隣室の農夫は、果樹園で剪定した枝を燃やしたところ、地中に埋まっていたボール爆弾に引火して爆発。左目に鋼球が飛び込んだという。「この病院には専門医がいないので、国立病院に移送して眼球を摘出、義眼を入れる治療を受けることになるでしょう」と院長。傍らですすり泣いている妻に「右目が無事だから大丈夫」と、優しく肩をたたいた。

 午後、ドーン村の民家の畑で発見されたボール爆弾3個の処理現場に行く。この村では、今年になってからもう、50個のボール爆弾がみつかっているとか。現場に着くと、藁屋根の民家の軒下で、女性3人を含む8人の不発弾処理班UXO LAOのメンバーが待っていてくれた。制服姿の女性の1人は、凛々しく言った。「この仕事について地域の人びとの危険削減に少しでも貢献できることが嬉しい。家族も、私がこの国家プロジェクトに参加しているのを喜んでいます」と。
 そこへ、乳児をおんぶした老婆が、右手の指を3本高々と揚げ、「私が見つけて知らせたんだ!ボンビー(ボール爆弾)を3つも見つけたんだよォ」と叫びながら走ってきた。早速、彼女の案内で畑への道を降りていく。なるほど、100〜200メートル間隔で、茶褐色に変色した3個のボール爆弾の頭が見えている。処理班のスタッフは、それぞれの分担に応じて、不発弾のまわりを土のうで囲み、そのまわりにTNT、またはC4と呼ばれる起爆剤を置き、それぞれに導火線を引いて、300〜500メートルほど離れた位置に戻ってスイッチを押す。爆破の前には拡声器で、焚き木を拾いに来た子ども、水牛をひく農夫、下校中の生徒や道ゆく人びとに危険を告げる。

 いよいよ爆破――ルン・ソン・サン(1・2・3)ドカーン!
 500メートル先の上空いっぱいに広がる赤い炎と黒煙……これを3回繰り返し、3個の爆破処理が終了した後に、チームリーダーが確認する。通報したおばあさんの「不発弾の知識」は、村に巡回に来たUXO LAO教育宣伝班の人形劇で得たとか。私が、おんぶしている幼児の名前を聞いたら「えーと、なんだっけ、忘れた……」と笑った。孫の名前を忘れても、不発弾発見の通報は忘れないあたり、村人たちの不発弾への緊張感が感じられるひとコマだった。
 それにしても、なんという危険の伴う綿密な作業だろう。UXO LAOの代表ワンディさんは言う。「この不発弾処理による事故で死亡したり障害者になった人は、われわれが担当する6つの郡で年間平均50人。今年の犠牲者は1月から4月までで23人、うち10人が即死でした」。きょう1日で処理したボール爆弾は僅か28個。ラオス全土には現在も推定不可能な膨大な量の不発弾が埋まっており、すべてが除去されるのは50年後か100年後だとか。

 私は、やりきれない気持ちを抱いたまま、クーン郡のナーピア寺に向かった。米軍の爆弾投下による直径数メートルのクレーターがいくつも残る寺の庭に、村人たちが建てたという小さな木造の本堂があった。私は、本堂の前の、爆撃で焼けただれた露座の大仏を見上げた。ブロンズの仏像の左半分のお顔は、慈愛に満ちた微笑をたたえていたが、その右半分は焼けただれて、口が曲がり、頬に刻まれた幾筋もの傷は、シェンクアンの地を救うことができなかった不甲斐なさに絶え間なく涙を流し続けているように見えた。
 映画『カンダハール』のモフセン・マフマルバフ監督は、「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない。恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」と言った。まさしく、ナーピア寺のこの仏像は、恥辱のあまりいまにも崩れ落ちようとしていた。私たちは、この仏像のように、なすすべもなく、人類が人類を滅ぼす日を、傍観していなければならないのだろうか?

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