東京港区で昨2009年8月、耳かき店員の女性(21)とその祖母を刺殺したとして、殺人などの罪に問われた無職林貢二(42)の裁判員裁判が10月25日(2010年)、東京地方裁判所で結審した。検察側は「死刑」を求刑。昨年8月から全国で実施されてきた裁判員裁判で初の死刑求刑である。今回の裁判員は女性4人、男性2人の6人。それに3人の裁判官の計9人で、最終的には多数決で、無期か?死刑か?の判決がくだされる。結審の翌26日から29日までの評議を経て、11月1日に判決が言い渡されるまで、裁判員たちは、この重い決断に耐えられるだろうか?検察側は論告で、死刑を選択する基準として「永山基準」を説明。基準に照らし、この事件は死刑を選択すべきケースだと強調した。今回は、「永山基準とは何か?」について記したい。
1968年10月11日から11月5日までの26日間に、東京、京都、函館、名古屋と全国を駆けめぐって4人を射殺した「連続射殺魔」永山則夫は、19歳の少年だった。犯行前の10月8日、横須賀米軍基地に侵入した永山少年が、高級将校の妻のドレッサーから盗んだのは、22口径、銃把に白い象牙のはめ込まれた美しい護身用の拳銃だった。
19歳の少年は、この小型拳銃をマスコットとして、誰にも見つからないように土を掘って埋めた。だが、翌日、掘り出して眺め、胸のポケットに収める。10月11日、彼は月光にきらめくプールが見たくて、東京プリンスホテルの庭に忍び込んだが、ガードマン(27)に見とがめられ、取り押さえられた。「このままでは拳銃を見つけられ、不法所持で警察沙汰になる、絶対にこれだけは手放したくない」。彼は必死で抵抗し、逃げながら夢中で発砲した。
そのあと京都まで逃亡し、八坂神社の境内で野宿しているところを警備員(69)に見とがめられて発砲(10月18日)。「もう自殺しかない」ときめ、死ぬ場所を求めて生まれ故郷の北海道網走へ。だが、どうしても死にきれない。自暴自棄になった彼はタクシーの中で運転士(31)に発砲し、金を奪う(10月26日)。ついで姉のいる名古屋へ行き、タクシーの運転手士(22)から連続殺人魔の世間話を聞くと、「バレている、捕まる」と思い込み発砲、金を奪う(11月5日)。こうして全国手配され、東京の明治神宮の森で自殺をはかるが失敗、逮捕される。
判決は、地裁(一審)では死刑、高裁(二審)では無期判決となったが、最高裁はこれを破棄、差し戻し審で、一審どおり死刑が確定した。この間、実に21年、永山則夫は生と死の間を翻弄され続けたのちに処刑された。二審の高裁で無期懲役の判決をくだした船田三雄裁判長は、彼の過酷な生育歴を重く見たのだった。
1949年の北海道網走市、父親は賭博に明け暮れて家に寄りつかず、母親の内職と行商で、かろうじて一家は支えられていた。そんなとき、8人きょうだいの6番目として生まれたのが則夫だった。やがて夫の賭博の借金、DV(ドメスティックバイオレンス)に耐え切れなくなった母親は、家事を一手に引き受けていた長女が精神病で入院したのをきっかけに、乳飲み児と子守役の次女だけを連れて、実家のある青森県板柳へ逃げ帰った。
置き去りにされたのは14歳、12歳、9歳、そして5歳の則夫の4人。兄の新聞配達と屑拾いで食うや食わずの栄養失調状態の4人は、近所の人びとの通報で、市の福祉事務所が救済、母親の居場所も捜し出した。こうして子どもたちは、7ヵ月ぶりに母親の許に引きとられたものの、ここでも極貧の生活。則夫はまともに学校に通うこともできないまま、中学校を卒業すると集団就職で東京へ。それから4年、職を転々として屈折した日々を過していたある日、思いがけなく美しい拳銃を手に入れ、これが犯行に繋がっていく……。
無期判決をくだした高裁の船田三雄裁判長は「人格形成に最も重要な幼少期から少年期にかけて、きわめて劣悪な生育環境にあったことを考えると、(犯行時19歳9ヵ月だった彼の)精神成熟度は18歳未満※の少年と同視しうる状況にあったと認められる」という画期的なものだったが、最高裁はこれを破棄し、高裁に審理のやり直しを命じたのだった。その際、死刑か無期かの判断基準について、量刑基準を判示――それが、死刑選択の判断要素「永山基準」として、現在もしばしば使われているものである。それは@犯行の罪重 A動機 B殺害の方法(執拗さや残虐さ) C殺害された被害者の数 D遺族の被害感情E社会的影響 F犯人の年齢 G前科 H犯行後の情状(自責の念、被害者への謝罪行動など)の9項目だ。
さて、話をもとに戻して、今回の耳かき店員の女性とその祖母を刺殺した林被告の裁判員裁判で、東京地裁(若園敦雄裁判長)は、11月1日、無期懲役を言い渡した。「永山基準」に沿って検討し、死刑を回避した項目は、@の、祖母殺害は偶発的 Aの、一般的な恋愛感情だが悪質とは言えない Hの、深く後悔し反省している、 の3つを重く見た結果だという。Bの残虐性、Cの、殺害された被害者の数、Dの、遺族の被害感情は「極刑」に値するが、@とA、そしてHの3つを重く見た結果、極刑は回避された。ついで11月12日、死刑を求めていた東京地検は、控訴しないと発表。被告側も控訴しない方針で、無期懲役判決確定となった。苦しい判断の日々を耐え、無期に導いたことは裁判員制度の成果といえるだろう。
※少年法第51条1項により、18歳未満で犯罪行為を行なった少年に対しては死刑に処することができないと規定されている。
資料 朝日新聞(10月26、30、11月2日) / 『それでも彼を死刑にしますか』大谷恭子著(現代企画室刊)
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