小・中学校で学ぶ子どもの教科書は、国の費用でまかなう――これは憲法第26条義務教育無償の精神の「目に見えた制度」といえよう。なのにいま、沖縄県八重山地区(石垣市、与那国町、竹富町)でトラブルが起こっている。事の起こりは次のとおりだ。
2012年度から4年間使う中学校の社会科「公民」の教科書選びに、上記八重山地区協議会(会長・石垣市教育長)は、『新しい歴史教科書をつくる会』系の執筆者らによる育鵬社版を選んだ。これに対し、竹富町教育委員会(竹盛洋一委員長)は、5委員全員一致で育鵬社版を不採択とし、東京書籍版を選ぶと決定。理由は「原発の危険性に触れず、安全性のみ強調、男女平等に一切触れていない」というものだった。その結果、文部科学省は、採択協議会と異なる採択をしたからには国として無償措置をするのは法律違反だとして、「竹富町は自主財源で東京書籍版を購入せよ」との見解を出した。これに対し、11月23日、沖縄県嘉手納市で1,000人余の参加者を集めての県民大会が開かれ、石垣市の教師が「育鵬社版教科書を使っては、自由な教育はできない」と訴えた。
別件だが、横浜市教育委員会も育鵬社版の「歴史」と「公民」教科書を採択。“横浜市教科書採択連絡会”は、抗議の記者会見を行なった。その理由として、育鵬社版教科書の内容は、「@(過去の)アジア諸国への侵略戦争の実態が非常に希薄、あるいは書かれていない。A日本国憲法をGHQ(連合国軍司令部)に押しつけられたものとしている。B基本的人権・国民主権の主張が弱く書かれており、子どもたちの“生きる力”が育たない」と。
私は急きょ、手許にある扶桑社(現・育鵬社)版、2001年刊の『市販本・新しい歴史教科書』、1900年以降の「世界大戦の時代と日本」を読んだが、教科書として適切ではないと思われる部分が13ヵ所もあった。1例を挙げると、1941年12月8日未明の日本海軍機動部隊による真珠湾奇襲攻撃に端を発した太平洋戦争に、大東亜戦争のタイトルを付し、「この日本の戦争の目的は、自存自衛とアジアを欧米の(植民地)支配から解放し、大東亜共栄圏を建設することにあった」(227頁)。さらに、「日本軍の南方進出は、(1947年のインド独立、1948年のビルマ独立他の)アジア諸国の独立を早める一つのきっかけともなった」(282頁)など、日本の15年間にわたる戦争が、中国およびアジア諸国への侵略戦争であったことに一切触れていないことだ。
ところで、そもそも今回の教科書採択混乱のもとは、1963年に施行された「教科書無償措置法」の仕組み――いくつかの市町村が共同で同じ教科書を選ぶ「広域採択制度」にあるといえよう。文部省(当時)はこの制度を、@小さな町や村では独自の教科書研究は難しい。A教科書会社から届けるのにも効率が悪い。だから、ある程度まとまって選ぶのがよいと、表向きには発表したが、実は「現場教員の意向、日教組の影響を弱めるのが狙いだった」(2011.11.10朝日新聞社説)とある。やがて1997年(橋本龍太郎内閣)になって、文部省初等中等教育局長名で、「小・中学校教科書採択は、学校単位の採択や多くの教職員参加の方向で」との通知が出されたが、結局不発に終った。
そこには1990年代後半に台頭してきた、新自由主義を標榜する『新しい歴史教科書をつくる会』の影響があったのではないか?同会は、戦後の教育を「自虐史観に立った教育」などと批判。国家・郷土に対する誇りを育てる歴史教科書こそが必要と主張し、同会のメンバーによる著作の「歴史」と「公民」教科書の採用・採択を、各都道府県の教育委員会に働きかけたという。
これを受けて、2001年度から多くの都道府県が、それまでの教職員の推薦や順序づけを廃止。東京都教育委員会も同年、「教職員の投票による採択教科書決定は、採択権者の責任が不明確になる」として、「現・規定改定」を通知した。結果、都23区は学校ごとに教師の希望をまとめて提出する「学校票」を廃止。都教委が採択権を握り、今日に至っている。
本来、教科書は地域や子どもの実情に合わせ、子どものことを最もよく知っている教職員の要望を取り入れて採択すべきだろう。多様な教科書を使った多様な学びを、国で財政的に支える――『子どもの権利条約』謳われる「子どもに最善の利益を!」が本筋ではないか?現在、世界各国で連日のように政権へのデモ、部族間、異宗教間の紛争が行なわれ、それによる市民の死傷が報道されている。日本の子どもたちは歴史教科書で、過去の自国のアジアへの侵略戦争の事実を知ることにより、平和への希求の精神が培われるのではないだろうか?
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