■君が代斉唱時に、教員の口の動きを監視
去る3月14日、16日(2012年)の新聞――大阪府立和泉高校の中原徹校長が、卒業式当日の「君が代」斉唱の折、教頭らに指示して「教員の口の動きを監視させていた」との記事には驚かされた。
監視人から「3名の口が動いていなかった」との報告を受けた校長は、3名を校長室に呼び詰問。2人は「斉唱していた」と答えたが、1人は「起立だけでよいと思った」と答え、歌わなかったことを認めたため、府教委は歌わなかった1名を“職務命令違反”で処分することを検討中とか。
大阪府では昨年、全国で初めて君が代の起立斉唱を教職員に義務づける条例を規定。この条例によって、今春すでに府立高校14校の教員17名が不起立を理由に戒告処分を受けており、“再発防止研修”を受講、「今後は職務命令に従います」との誓約書に署名・押印を強制されたという。
“大阪維新の会”(代表・橋下徹前知事・現市長)が、大阪府議会に提出してあった『教育行政条例案』は、2月23日(2012年)府議会本会議で強行可決された。それには@知事は学校が実現すべき目標を設定し、その目標を実現する責務を果たさない教育委員を罷免できる、A校長、副校長は任期付きで公募する、他となっている。だから教育委員会は、今回の卒業式時に起立はしたが口を動かさなかった教員を処分しなければ@にある罷免=自分のクビが危ういということになるわけだ。さらにAの校長の公募だが、大阪府立和泉高校の校長は、府立高校校長の公募に応じて採用された民間人で、橋下徹現市長と大学時代からの友人だというから、今回の“口元監視命令”を出し、その結果を教育委員会に通告したのも頷けるというものだ。
■「国旗・国歌法」法制化への経緯
「日の丸・君が代は、戦時中の軍国主義のシンボル」と考える歴史観・思想・信条を持つ人びとは少なからず存在する。その人びとにとって、不起立・不斉唱は、日本国憲法第19条・思想及び良心の自由が保障する個人の権利であるはず。ところが臨教審は、1985年から1987年にいたる3次答申を経て、第4次最終答申で「国旗・国歌の持つ意味を理解し、尊重する心情と態度を養うことが重要であり、学校教育上、適正な取り扱いがなされるべきである」と規定。内閣府は1999年8月9日、日の丸・君が代を、国旗・国歌法として法制化した。
これを受けて文部省(現文部科学省)は、“新学習指導要領”小学校教員用指導書に「君が代は、わが国が繁栄するようにとの願いを篭めた歌であることを理解させること」と記述。多くの教員らは、指導書に従うという無難な道を選ぶようになった。
君が代の何たるかも知らない児童たちから「“きみがよ”のきみって誰のこと?」と質問されて、「君たち、僕たちのことだよ」と苦しい解説をしたという教員のエピソードもきいたし、養護学校(現特別支援学校)の起立できない身体不自由児を起立させるために、国歌斉唱の間ずっと児童の両脇をかかえて立たせていたという教員の話もきいた。さらに職務命令だからと、同僚教員が国歌を歌うか歌わないか、その口元を監視する教頭の苦痛は察して余りある。こうした教育現場の現状に対し、橋下大阪市長は、「これが服務規律を徹底するマネジメント。ここまで徹底していかなければならない」と、賛辞を送ったとある。
■私が初めて国歌斉唱の場に遭遇したとき―
思い返せば、私が初めて国歌斉唱の場面に遭遇したのは、1997年4月29日、630席の会場を満席にして開かれた「福岡教育連盟(FENET)」発足記念講演会のときだった。『新しい歴史教育の創造に向けて』という巨大な垂れ幕の下で、舞台にずらりと並んだパネリストは、西尾幹二、高橋史朗、藤岡信勝、小林よしのりの4人。“新しい歴史教科書をつくる会”の理事、幹事ら錚々たる顔ぶれであった。
このFENETの前身は、福岡高教組から分離した、自称“新福岡高校教員”による組織で、『すべての子どもをわが子として』とのキャッチコピーを西日本新聞の一面一杯に掲載。その文面は、『1970年代からの教員のスト、偏向教育、職場闘争から子どもたちを守るために結成。“組合”に象徴される閉じた活動ではなく、より開かれた社会との連携を目指す』とあり、中学校教員や保護者らも入会可能とあって、いまや高教組の会員数を大きく引き離す勢い。
新自由主義を標榜する“新しい歴史教科書をつくる会”の錚々たるメンバーを招いての講演会も、「反教組」の旗印なのだろう。講演会はのっけから全員起立、国歌斉唱ときた!
(次号につづく)
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