これで3回連続の「日本国憲法」に関する記述―3回分を続けて読んで頂ければ幸いです。
さて、敗戦後GHQ(連合軍最高司令部)の占領下にあった日本政府が(GHQの草案を基にしたとはいえ)、永久の「戦争放棄」「戦力不保持」の第9条を明記したことで、国際社会は日本が「15年(侵略)戦争」で、アジア諸国に2,000万人もの死傷者を出したことへの謝罪を表明し、GHQマッカーサー司令長官が宣言したように、アジアのスイスたることを誓ったと見た。勿論、戦争の苦難を体験した日本の民衆は、この平和憲法の永久持続を願ったのだった。
ところが、この新憲法施行(1947年5月3日)から僅か3年後の50年6月、朝鮮戦争が勃発。米国内では、トルーマン大統領演説を機に、“反共戦略”が台頭し、日本をアジアのスイスから「反共の防波堤」に切り換えるべきだとの論調が拡大した。そこで朝鮮戦争の総指揮官マッカーサーは、日本国憲法との関係をあいまいにせざるを得なくなり、1950年7月、7,500人の警察予備軍創設と、8,000人の海上保安員増員を命じることになる。
やがて朝鮮戦争は、北朝鮮軍に中華人民共和国の人民志願軍が加わり、その戦闘は熾烈を極める様相となった。トルーマン大統領は、マッカーサーが核戦争を主張するばかりか、自らの命令を無視して北上し、中国の参戦を招いたことに激怒、1951年4月11日、彼を更迭した。これに対し日本の民衆は、帰国の途に着く彼を見送ろうと、東京国際空港までの沿道に詰めかけて名残りを惜しみ、大手新聞はこぞって、彼の平和憲法制定への尽力に対する感謝文を掲載したのだった。
ところが同年、日本政府は平和憲法とは裏腹に「日米安全保障条約」に署名。翌52年、警察予備隊の名称を「保安隊」と変更。54年には防衛庁を設置し、「陸海空自衛隊」を発足させる。
1956年、国連に加盟。60年、新日米安保条約に署名。72年、米軍基地をそのままに沖縄返還。78年、在日米軍への“思いやり予算”を表明。91年、米英軍など多国籍軍のイラク攻撃に応じて、自衛隊は掃海艇を派遣。92年には、国連平和維持軍(PKO)協力法成立と同時に、カンボジアへ自衛隊を派遣する。
2001年、米国への9.11同時多発テロに対する、米英軍のアフガニスタン攻撃に応じて、インド洋に自衛隊イージス艦を派遣。03年の米英軍のイラク攻撃にまたもや応じて、04年、イラクに陸上自衛隊を本格派遣。07年、防衛庁を「省」に昇格させ、安倍内閣(当時)は「安全保障の法的基盤再構築懇談会」設置。09年には、海賊対処法成立。12年末、再び自公内閣成立と同時に、安倍首相は集団的自衛権の行使・国防軍創設を盛り込んだ憲法改正(悪)をもくろんでいることを明らかにした。
2008年3月現在の日本の軍備は、陸上自衛隊140,029人、戦車保有数880両、海上自衛隊41,941人、護衛艦52隻、航空自衛隊43,199人、F-15戦闘機200機保有という膨大なものであり、平成25年度の防衛予算は4兆6,804億円が計上されている。こう列挙してみると、この矢継ぎ早の「平和憲法」違反には、驚き憤る他はない。
考えてみよう!そもそも「日本国憲法」とは、われわれ日本国民が国会に代表を送って、国家が守るべき規範を托したものであり、その時々の政府が勝手に都合よく解釈することは許されないものである、と私は考える。憲法9条で戦争の放棄が規定されているのを承知の上で、歴代政権は法解釈をかいくぐって、上記のように自衛隊の拡大、海外派遣と違憲を重ねてきた。
折も折、アルジェリアでの人質殺傷事件が勃発。自民、公明両党は2月25日(2013年)、「在外邦人保護強化」を目的とした、自衛隊による陸上輸送を認めることで一致。現行の自衛隊法では、航空機と船舶の輸送のみを認めているが、自衛隊法改正をして陸上輸送をも認めようというものだ。陸上輸送となると、邦人保護に名を借りた武器使用の緩和も、いずれ現実のものとなるのではないだろうか。
こうして私たちの国は、刻一刻、改憲して9条を削除し、過去の「軍国日本」へとまっしくらに転がり落ちていくのだろうか?いや、そうであってはならない!いまこそ反軍国主義、反侵略主義、真の民主主義、真の主権在民について真剣に声を挙げる時だ。永久の戦争放棄を宣言した憲法9条を誇りとし、1人1人が改憲反対を主張しよう!
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