2013. 6月

       
 


日本が過去に行なった
植民地政策と先住民への人権侵害を考える
  その
U

 
 

「性を語る会」代表 北沢 杏子

 
       
   

 1930年、日本の植民地だった台湾・先住山岳民族による武装蜂起「霧社事件」―抗日山岳民族1,236名は、日本の近代兵器の攻撃に屈し、集団自決。生き残った女、子ども、老人、200名は川中島の収容所に島流しにされた。
 1998年、「日本軍性奴隷制・慰安婦」取材対象者の1人として、台湾・花蓮市で私のインタビューに応じてくれたイワル・タナハさん(当時67歳)は、この「霧社事件」の時、収容所に入れられた母親のおなかの中にいた。タナハさんは父親を同事件で日本人に殺され、1944年には2人の兄も日本軍の軍属・軍夫としてニューギニアで戦死。母親とも死別した14歳の時、花蓮警察の佐倉という巡査にそそのかされ、日本軍兵士の「性的服務」に従事させられる、という苦渋に満ちた運命を辿ったのだった。以下は、タナハさんのインタビューの実録である。

■日本人兵士への性的服務を強制された14歳の少女、タナハさん
北沢
 (背後の旧日本軍格納庫・遂洞出口を指して)ここに何があったんですか?
タナハ ここ、ポンカン(遂洞)。見たくないよ、いつも連れていかれたところだから……。ここ兵隊部隊、12805大山部隊、ここにあったよ。サクラさん(巡査)が私たち4人を呼んで、警察きなさいって、話あるからって。「あんたたち4名は兵隊のところの部隊で仕事しなさい」と。仕事は、兵隊の着物たたんで、お掃除、お茶あげた、仕事したんです。1ヵ月に10円のお金くれて、朝の8時から5時までの時間の仕事。最初、2、3ヵ月は、この仕事、満足だったよ。その後から、お金は15円に値上げして……、
北沢 5円値上げして、兵隊の相手をさせられた?この遂洞の中で?
タナハ はい、私たちのからだ、日本の兵隊からやられたの。あのときの兵隊の責任者は、ニシムラさんです。あれが、私たちを一人ひとり、交代交代、あそこ連れて行ったよ。この4名が10時までみんなやられて、ようやくこっちに帰らすんだ、毎晩。逃げようと思ってもなかなか逃げられないよ。警備、おるでしょ。警備おるから、逃げようと思ってもできない。あのポンカンの中に入ったらもう、ハダカさせたよ。急に、ハダカさせて、急に、からだ、壊されたよ。泣いても泣いてもしょうがない、毎晩毎晩、兵隊3人まで、私のからだ壊したよ。わからない。あー、兵隊がつかんで、からだ壊されたよ。(泣く)
北沢 こんな暗闇の遂洞の中で……怖かった、痛かったでしょうね?
タナハ 痛いよ。あの時は。もう、からだも血だらけで……私、涙流して、涙流して……殴ろうと思っても力ないし、ほんとにあの時、涙流したよ。今でも思い出して、涙流しているよ、この私のからだ、壊された、日本の兵隊に。こんなに目までも壊されて、背骨までも壊されて、日本の兵隊から、からだ壊されたよ。いまも考えても、私、とっても苦しいね。妊娠して流産、妊娠して流産。あー、ほんとに、からだ弱ったね、私。まだ14歳だった。

 妊娠するたびに薬を飲まされ流産させられた。そして、夜毎の性虐待。月給15円の中の5円が性的服務義務代金だったのだ。やがて日本の敗戦。そのあと、タナハさんは結婚する。

タナハ 私、村に帰って結婚した。でも、私、男(夫)に知らさないよ、こわいから。長いこと教えないよ、私。子どもが大きくなるまで。初めて私、(洗礼を受けて)男(夫)に知らさないと神様の前に行かれないと考えたから、男(夫)に話したよ。いよいよ、もう死ぬ前よ、つい最近。私、話した。私はこんな罪を犯したから、あんたに話さないと私、神様の前に行かれないと、男(夫)に白状したんです(号泣する)。
 ほんとは、私たち、こんな苦労なときは、日本政府があやまるのは当然でしょ?私は、神様に、一生懸命祈っているよ。どうか、日本が私たち、見て(謝罪と賠償して)くれないかって、一生懸命祈っているんだよ、私。


 こうした事実に対して、日本政府はどう対応するか? 2013年4月23日の参院予算委員会で安倍首相は、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と、過去の侵略戦争および植民地支配を否定。続いて日本維新の会の橋下徹共同代表は、沖縄・普天間飛行場を訪問した5月13日、「銃弾の飛び交う中で命を懸けて戦っている兵士に慰安婦制度は必要」と発言した。次回は、過去の侵略戦争と植民地支配を、「国策の誤り」として謝罪した村山首相談話(1995年)、慰安婦制度に「軍が関与」していたとして、お詫びと反省を表明した河野内閣官房長官談話(1993年)と、それへの安倍首相、橋下徹氏の否定/拒否について記したい。

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