2014. 5月

なぜ 性教育実践者に?

 1960年代の私は、劇作家、放送作家、シナリオライターとして、NHKテレビはじめ、各局の帯番組などを書きまくっていた、と前回書きました。
 そんな私の許に1965年、文部省(現・文部科学省)婦人教育課長の塩ハマ子さんから、思春期の子どもへの性教育教材『明日では遅すぎる!』の制作依頼が舞い込んだのです。男性有識者らによって定められた「純潔教育基本要項」の「処女性の尊重、貞操観念の確立」といった内容では、もう追いつかない時代。若い女性の書き手を探していたのでしょう。
 とはいえ当時、『ウルトラQ』の脚本などを書いていた私にとって、まったく不慣れな性教育の仕事。慌てて性科学、性心理学などの専門家の許に走り、性教育先進国・北欧諸国への取材を開始しました。まず、スウェーデンの小学校3年生の授業を参観して、脳天に一撃!
 というのも、小3の性教育教科書に、「女性と男性が性交をして、そのとき排卵されていれば、あかちゃんができます」「あかちゃんが欲しくない時は、避妊具を使って精子と卵子が出会わないようにします」「性交しても、あかちゃんができない人たちは、養子縁組をして、その子を大切に育てます」と書かれていて、子どもたちは、自分がどうして生まれたかを、日本のようにはぐらかされることなく、はっきり知っていたのです。

 帰国後、こんどは法務省から、少年院の矯正教育教材『光を求めて』の制作依頼が……。私は2年間というもの、全国の少年院を巡回、入所中の少年少女の声の録音・編集に熱中しました。こうして取材現場で、その過酷な成育歴を語ってくれる少女たちと接するうちに、「この子たちが正しい性教育さえ受けていれば、こんな悲劇(父親による性虐待、家出、売春、薬物依存、逮捕、少年審判、少年院措置)は防げたかもしれない」と痛感したのです。
 私はそれまでの脚本家、放送作家という職業と決別し、1969年、日本初の性教育専門出版社、アーニ出版を開設。1972年には、『なぜなのママ?―3歳からの性教育の絵本―』を出版しました。故・やなせたかしさんのすばらしい絵で、裸のママとパパが手をつないでスキップしています。すると、女の子と男の子が大きな声で訊くのです。「あかちゃんは、どうして生まれるの?」と。この絵本に日本の社会は大騒ぎ。ある全国紙は社会面全頁に絵入りで、「ついに出た!『性の絵本』―童画風に大胆に―」と紹介。東京・銀座の百貨店では、この絵本の棚が、過激だとする人物からひっくり返されるという事件まで起きました。

 その後もさまざまなバッシングにもめげず、私は性教育、禁煙教育、アルコール・薬物依存防止教育、環境問題、ジェンダーの平等他120冊余りの創作絵本、著書、翻訳本の出版と、同じテーマの小・中・高校生対象の映像教材を200本ほど制作し、今日に至っています。
 この強靭なまでの持続性は、1980〜90年代前半にかけてのフェミニズム運動、フィリピン・ミンダナオ島の少数民族への教育支援、アメリカでのHIV/AIDSの取材・研究・支援活動などの実践のたまものだと思っています。
 こうして私は、全国各地の小・中・高校の要請に応えて、性教育出張授業を行なう実践者となりました。1992年12月1日の「世界エイズデー」には、東京・私立T高校1年生対象の「エイズの授業」を2校時に渡って行ない、唯一の予防法として「コンドームの正しいつけ方10カ条」の実践も教えました。翌12月2日、NHKテレビ「くらしのジャーナル」は、この映像を40分に短縮編集して放映。私も早朝から出演して、ニュースキャスターとの対談を行なったのでした。視聴者からの電話は、放映中から殺到。「よくやってくれた」「寝た子を起こすな」の賛否両論。再放映、再々放映も半月以上続き、日本中が蜂の巣をつついたような大騒ぎとなりました。

 2005年、文科省は、それまでの「ゆとりの教育」に終止符を打って「学力一辺倒」となり、再び性教育バッシングが始まりました。現在、小・中学校では「性交」「経膣分娩」などは禁句。教えないことが原因で(と、私は思っているのですが)HIV感染者とAIDS患者を合わせた年間報告数は1,546件(2013年)を数え、患者・感染者の累計は22,971人※。10代の人工妊娠中絶も20,659件※※を数えています。いまの私は、看護専門学校の学生に時事問題を教えながら、次世代の若者たちに「性=どう生きるか」を伝えているのです。



※ 厚生労働省エイズ動向委員会 報告 2013年12月29日現在   
※※ 厚生労働省 平成24年度衛生行政報告例の概況 母体保護関係

 

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