2014. 10月
日本の生殖技術と子どもの「出自」を知る権利
―AID(非配偶者間人工授精)で生まれた人々の声を聴く― そのU先月に引き続き、AID(非配偶者間人工授精)で生まれた人の声を続けましょう。
Cさん 私はAID、卵子提供、代理出産など第三者が関わる生殖技術は絶対に反対です。どれほど「子どもが欲しい」と願ったとしても、人間として本当にそれがいいのか?子どもの人権という視点から言っても(略)生殖技術でモノのようにやりとりされ、作られた子どもである私は、あくまでも反対します。
Dさん 母親から告知された後、一度失った母に対する信頼感は回復できず、また、親に否定的な思いを持つ自分に対して強い自己嫌悪の気持ちが起きて、感情が大きな振り子のように揺れ動いています。
告知以降、母も贖罪の気持ちからか私に遠慮がちで、お互い気持ちの距離が遠く、表面上だけの関係を取り繕っています。家族とは何なのでしょうか。
また、座談会では「母親から知らされたその日のうちに、夫と長男に(私がAIDによる人間であることを)話した。夫は『あのお母さんらしいね』と労わってくれたが、反抗期の息子は『ぼくは将来、結婚しない、子どもも作らない、孤独で暮らす』と言いだす始末。あとの2人の子どもはまだ幼いので、どのように話すか考え中です」
「私はAIDで生まれたことを知ったとき、医者に強い怒りを感じた。得々と、この生殖技術を実施している医者たちに、今までのやり方、技術を後悔して欲しい。AIDはある意味虐待―身体的虐待ではないけれど、精神的虐待だと思う。AIDで生まれた私たちが感じているこの苦しさを、この人(医者)たちに知ってもらい、即、やめて欲しいです」など、戸惑い、怒り、自己否定、家族との関係など、さまざまな感情が噴出していました。
■配偶子・胚提供が性・生殖・家族観に及ぼす影響
次に、AIDの研究者で、この本の編著者でもある長沖暁子氏の解説の要旨をお伝えしましょう。
●第三者の関わる生殖技術―AIDの歴史と現在
AIDは、1948年から慶應義塾大学で、他者からの精子提供により開始。翌1949年に女児が誕生している。技術的には、精子を不妊女性の子宮内に注入するという簡単なもので、海外では医療を介さず自分で行なうセルフ・インセミネーションのためのキットなどもある。日本では現在、AIDで生まれた子どもは1万人〜2万人と言われているが、海外でAIDを受ける人もおり、はっきりした数は不明だ。
1997年、国内初の「商業的精子バンク」設立※と同時に、日本産科婦人科学会(以下 日産婦)は、実施施設を登録制とし、データを発表するよう励告。データによると、AIDで年間100〜200人が生まれているが、日産婦が認めていない親族や知り合いの精子によるAIDも行なわれ、また、インターネットによる無償ボランティアとして個人的に精子提供、卵子提供を行なっているとするサイトも複数存在しているため、実数は確認できない。なお、提供された精子からHIV(エイズウイルス)感染が起きた事件以降、調査のため半年間、凍結された精子が使われるようになり、妊娠率は下ったという。
2006年になってやっと、日産婦の改定見解の中に「生まれてくる子どもの権利・福祉に充分配慮し、適応を厳密に遵守して施行すること」と記されるようになったものの、この会告(学会の告示)では、@婚姻している夫婦でAID以外では妊娠する見込みがない場合にのみ、登録施設でAIDを行なうこと。A精子提供者のプライバシー保護のため匿名とすること。B精子の売買は禁止―と記されているのみ。諸外国では※※立法により、精子提供者を特定できる情報を得ることができ、子どもの「出自を知る権利」が保障されているというのに、日本はまだまだ途上にあるというのが現状だ。
■日本の体外授精の諸問題―最近のニュースから―
2014年7月29日の新聞は、「夫の父の精子で118人誕生」の見出しで、長野県の「諏訪マタニティクリニック」が、複数の不妊夫婦に対し、夫の実父から精子提供を受け、妻の卵子と体外授精させて子宮に戻すという生殖技術で、1996年11月から2013年末までに79組が出産。同じ手法で2回以上出産した19組を含め、計118人が生まれた―と報じています。
この常識を逸脱した日本特有の家父長制の連鎖は、「倫理」の問題もからむ、わが国の恥部とも言うべきでしょう。
一方“朗報もあり”で、2014年6月22日の新聞では、日産婦が21日、体外受精を受けられる対象に、法律婚ではない「事実婚」夫婦も含める方針を正式に決めたと報道。日産婦の苛原稔倫理委員会委員長は「女性の結婚年齢が上昇し、少子化が進んでいる。夫婦にもいろいろな考えがあることを受け、今回は『婚姻』をはずすことにした」と発表しました。
「少子高齢化をとどめるため」という理由には賛同できないまでも、「選択的夫婦別姓」推進の裁判にかかわっている私は、この法改正への一歩前進かと、期待した次第です。
※2007年 活動停止
※※2007年スウェーデン、1992年オーストリア、1998年スイス、2003年ノルウェー、2004年オランダ、ニュージーランド、イギリス