2016. 1月

 

夫婦同姓規定「合憲」判決に怒る!

 「結婚により夫婦は同じ姓になる」「女性は離婚後6ヵ月は結婚できない」の2つの民法の規定が、憲法に違反するかどうかが争われた訴訟―2015年12月16日、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は、夫婦同姓は「合憲」、再婚禁止規定については、100日を越える期間のみ「違憲」、との判決を下した。
 15人の裁判官のうち、3人の女性裁判官を含む5人は「違憲」だと主張したにもかかわらず、10人の男性裁判官たちは、「旧姓を通称使用できる職場なども増えてきているから、不都合なことはない」と、女性のみが(改姓によって)自己喪失感はもとより、日常生活での多大な不都合を負っていることへの無理解、無関心が露呈された、男性優位の判決だった。
 判決を聞いたとたん、「夫婦別姓訴訟」の原告5人の団長、塚本協子さん(80)は、「涙が溢れた」と言う。若き日からずっと、結婚によって夫の姓に変える習慣に疑問を抱いていたため、事実婚に踏み切ったが、やがて婚姻届を出す破目に。だが、違和感は消えず、50数年というもの、(戸籍上の夫の姓は使わず)、自己のアイデンティティとしての、生まれながらの「塚本」を名乗ってきた。「違憲判決が出ると思っていた!これで本名の“塚本協子”で死ぬこともできなくなった!」とすすり上げる塚本さんの無念さは、ずっしりと重い。
 上記二つの規定は、1898年(明治31年)施行の明治民法で決められたものだ。戦後、基本的人権の尊重をうたった日本国憲法の下で、新しい民法ができたが、この二つはそのまま残り、2010年、当時の千葉景子法相の諮問機関、法制審議会が、「選択的夫婦別姓」との民法改正を答申したにもかかわらず、保守系議員の抵抗で潰された経緯がある。女性が社会に進出し、「家族」の多様化も大きく変わってきた現在、時代に逆行した判決である。

 ここに、元最高裁判事の泉徳治氏の意見※を紹介したい。「姓は個人のアイデンティティに関わる、人格の象徴だ。結婚によって夫婦のどちらかが姓を変えなければならない制度は、個人の尊厳を傷つけるものに他ならない」。さらに男女平等を定めた憲法14条にも反するとして、「民法では夫か妻のどちらかの姓を名乗ることになっており、形式的には平等のように見えるが、96%の夫婦が夫の姓を選んでいるのが実態。これを踏まえると、実質的に女性差別を招いている規定だ」と。加えて、1985年に日本も批准した「女性差別撤廃条約」委員会からの、再三にわたる勧告、「『夫および妻の同一の個人的権利(姓および職業を選択する権利を含む)を確保せよ』にも違反している」と述べている。
 中央大学山田昌弘教授は、「夫婦別姓反対論者は“家族が壊れる”、“親の姓がばらばらだと、子どもが混乱する”、などと言うが、その底にあるのは、日本の社会の同調圧力―“多数と同じにしない者は、けしからん”“皆と同じにしろ”という無言の圧力だ」と批判している。

 私が、夫婦それぞれの信条から「事実婚」を選んだ、介護福祉士K・Sさんの「婚外子差別裁判」を取材し、支援してきたのは、いまから16年前のことだった。3年間にわたり闘ってきたこの裁判は、2009年4月17日の最高裁(最終審)で、「上告人の上告を棄却する」と、僅か十数秒の判決で終った。
 S・Yさんは、子どもが生まれ、区役所に出生届に出向いたところ、「法律婚でない」として、戸籍の父母との続柄欄の「嫡出でない子」に印をつけるよう強要された。この用語は既述のように、「女性差別撤廃条約」委員会および「子どもの権利条約」委員会から、再度にわたって「非嫡出子の差別用語廃止」を勧告されてきた項目だったから、彼が、その旨を申し立てて拒否すると、区役所側は、付せんを貼った上で、出生届を受理。それには、「母が届出をしないため同居人が提出、“嫡出でない子・女”と認め受理した」と記されてあり、戸籍上、子は終生にわたり、非嫡出子として刻印されるものだった。
 最高裁判決当日も、一人の男性裁判官から「妻なるものが入籍すれば、ただちに解決する案件。妻の怠慢だ」との意見があり、傍聴席の人びとがうなずいた光景を、私は今も思い出す。これが、前述の山田教授の言う日本社会の女性差別、同調圧力というものであろう。
 日本中の意識ある女たちは、今回の「夫婦同姓規定『合憲』」の判決に慄然としたのではないか?私もその一人だ。思わずム、ム、ムッ!と、翌17日の朝刊を右手の拳で叩いてしまった。


※ 2015.12.17 朝日新聞「耕論」欄

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