2017. 1月

ボブ・ディランの歌は「文学」か? 

■ノーベル文学賞、ボブ・ディラン氏が受賞
 2016年の「ノーベル文学賞」は、米国のミュージシャン、ボブ・ディランさん(75)だった。歌手が受賞するのは初めてのことで、しかも文学賞受賞とは?と世界中の人々は驚く。彼は12月10日の授賞式には欠席する一方、メッセージを寄せた。メッセージは、米国の駐スウェーデン大使が、同日の晩餐会で代読。「このような名誉ある受賞を光栄に思っていることを、どうか、わかってください」と綴ってあった。加えて「私の歌は、文学だろうか?」とも。メッセージの要旨は次の通りである。

■ディラン氏のメッセージの要旨
 メッセージには、「私は若いころから、キプリング(1907年、ノーベル文学賞受賞・以下同じ)、トーマス・マン(1929年)、パール・バック(1938年)、ヘミングウェイ(1954年)、アルベール・カミュ(1957年)らの作品に親しみ、吸収してきました。(略)この知らせを受けたとき、私はツアーの最中で、『文学賞?』と、理解するのに数分以上かかりました。その時、頭に浮かんだのは、劇作家のシェイクスピアです。彼の脚本は舞台の演者のために書かれた台詞であって、読むものではなかった。もし彼が文学賞を授与されたら、「自分の脚本は文学だろうか?」と問うたに違いありません(略)。
 私は「自分の歌は、文学だろうか?」と、自問したことは一度もありません。スウェーデン・アカデミーは、私にその“問い”を考えさせ、最終的に、このような素晴らしい答を出してくださったことに感謝します」とあった。
 スウェーデン・アカデミーは、「彼の歌の美しさは最高のものだ。これが、ボブ・ディランは文学に属するのか?という問いへの、はっきりした答である」と説明している。では、ディランの作品の中で最も知られている『風に吹かれて(BLOWIN' IN THE WIND)』の歌詞を転載してみよう。(中川五郎 訳)

■風に吹かれて―
 どれだけ たくさんの道を歩き回れば/人は 一人前だと呼ばれるようになるのだろう?/どれだけ多くの海を越えていけば/白い鳩は 砂浜で羽根を休めることができるのだろう?/どれだけ大砲の弾が撃たれれば もう二度と撃たれないよう禁止されることになるのだろう?/その答は 友よ 風に吹かれている/その答は 風の中に舞っている
 どれだけ長い歳月が 経てば/山は海に削り取られてしまうのだろう?/どれだけ長く生き続ければ/虐げられた人たちは 晴れて自由の身になれるのだろう?/どれだけ人は 顔をそむけ続けられるのだろう?/何も見なかったふりをして/その答は 友よ 風に吹かれている/その答は 風の中に舞っている
 何度 見上げたら/人は ほんとうの空を見られるようになるのだろう?/人々が 泣き叫ぶ声を聞くには/2つの耳だけでは足りないのだろうか?/どれだけの人が死んだら/あまりにも多くの人たちが死んでしまっていることに 気づくのだろう?/その答は 友よ 風に吹かれている/その答は 風の中に舞っている

■ボブ・ディランの略歴2
 ボブ・ディラン(本名 ロバート・アレン・ジママン)は、1941年5月24日、カナダと国境を接する米国北部ミネソタ州デュルースで生まれた。10代の頃は、ブルースが流れるラジオに心を奪われるような少年だったが、その後、ロックンロールに惹かれ、特にエルヴィス・プレスリーに夢中になった。ミネソタ大学を中退すると、ギターと共に放浪の旅に出る。
 そして庶民の暮らしに寄り添った数々の歌、「わが祖国」や「ド・レ・ミ」のフォークシンガー、ウディ・ガスリーに憧れ、1961年、彼が住むニューヨークに辿りつく。当時グリニッジ・ヴィレッジには、多くの芸術家が集まっていたことから、若きディランは、そこで歌を作る上での技量や知識を吸収していった。そして1962年、『風に吹かれて』でデビュー。当時の公民権運動や反戦デモで揺れ動く米国社会を背景に、彼の『風に吹かれて』や『時代は変る』は、デモのテーマソングとなった。
 1971年には、ロックのチャリティーコンサートとして世界初の大規模の「バングラデシュ難民救済コンサート」に出演。1985年、USAフォーアフリカの「We are The World」に参加。1988年には、ロックの殿堂入りを果たし、2008年、ピューリッツァ賞特別賞、2012年、大統領自由勲章を受章。そして2016年、ノーベル文学賞に至っている。
 ともあれ、『風に吹かれて』を日本語の訳詞で歌ってみよう。きっと、彼がノーベル文学賞を授与された意味がわかるに違いない。

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