2018. 4月
セクハラ・性暴力への抗議運動日本では?
Black Boxを読み解く そのU
■伊藤詩織さんの学生生活
2013年9月、伊藤詩織さん(以下 詩織さん)はニューヨークの大学で「ジャーナリズム」と「写真」を学んでいた。学費の支払いに追われて生活は厳しく、翻訳、ベビーシッター、ピアノバーでのバイトの日々を過していた。TBSワシントン支局長の山口敬之氏(以下 山口氏)に紹介されたのは、その店だった。彼は気さくに「自分もジャーナリストだから、君みたいに夢を持っている人に会うのは嬉しいね」と言った。詩織さんは“ニュースの現場で働きたい”と考えていたので、山口氏との出会いは嬉しかった。
2014年9月、大学卒業を目前にして「現地で働きたい」と、メディア関係者にメールを送る。その中に山口氏も入っていた。彼からのメールは「TBSは、いま人が足りている。僕の知り合いの日本テレビニューヨーク市局長に連絡してみたら?」と紹介され、面接とテストを受けて、インターンとして働き始める。が、インターンシップ(無給)と学業で、バイトの時間はなくなり、生活に窮してしまう。同じ年の9月、「国連総会」があり、各局の記者がニューヨークに集まる。この時、詩織さんは山口氏に出会うが、お互いに挨拶を交わしただけだった。
その後、詩織さんは生活に窮し、帰国―東京で就職活動を開始するが思うようにいかず、考え込む日々が続いた。
■山口氏に就職依頼のメールを送ると、即、返信がきた!
そして、NYの「国連総会」で出会って半年経っていたが、「山口さん、お久しぶりです。お元気ですか。(略)以前、山口さんが“ワシントン支局であれば、いつでもインターンにおいでよ”と言ってくださったのですが、まだ、有効ですか?」とメール。山口氏からは、その日のうちに返信があった。「インターンなら即採用だよ。プロデューサー(有給)でも、詩織ちゃんが本気なら、真剣に検討します。連絡を!」(2015年3月25日 19時25分)。詩織さんが履歴書などを送ると、「履歴書受け取りました。(略)ところで、一時帰国することになったんだけど、来週は東京にいますか?」(2015年3月28日 17時31分)とメール。続いて「来週後半、空いている夜、ある?」(2015年3月29日 14時26分)。
「空いている夜、ある?」こんな馴れ馴れしいメールに、詩織さんは首を傾げなかったのだろうか?もっとも、相手はTBSワシントン支局長!米国で就職したい気持ちに駆られるのは無理もない。彼女は山口氏指定の4月3日(2015年)、仕事を終えると、午後7時過ぎ、山口氏の待つ小さな「串焼屋」に駆けつけた。
■「酒に強い!」と自負、日本酒を3合飲んだところで記憶は、とぎれる!
彼は既に1人で酒を飲んでおり、「目的は次に行く鮨屋なので、ここでは少しだけ注文するように」と言った。
詩織さんの著書の中から、このあたりを転載すると、「私は目の前に出された串焼き5本、ビールをコップ2杯とワインを1〜2杯飲んだ(略)私はもともとお酒にはかなり強い方なので、酔いは回らなかった」―とある(私は、この箇所を読みながら、酒に強い過信は禁物だ、と思った)。
1時間半後の9時40分ごろ、歩いて5分ほどの距離にある鮨屋に移動する―。以下、著書から引用―「(その店で)日本酒2合目を飲み終る前に、私はトイレに入った。出て来て席に戻り、3合目を頼んだ記憶はあるのだが、それを飲んだかどうかは覚えていない。そして突然、何だか調子がおかしいと感じ、二度目のトイレに立った(略)そこからの記憶はない……」
■激しい痛みで目覚める―そこはホテルだった!
目を覚ましたのは、朝の5時ごろ―薄いカーテンが引かれた部屋のベッドの上で、何か重いものにのしかかられていた。「痛い、トイレに行きたい」というと、山口氏は体を離した。その時、避妊具をつけていないペニスが目に入った。
トイレに駆けこんで鍵をかけたが、意を決してドアを開けると、すぐ前に山口氏が立っており、そのまま肩をつかまれ、再びベッドに引きずり倒された。「痛い!やめてください」と繰返したが、彼はやめようとしない。
詩織さんはとっさに、英語で叫んだ!「Why the fuck do you do this to me ?(なんでこんなことするの!)」そして更に英語で続けた。「これから一緒に働く予定の人間にこんなことして、何のつもりなの!」。なぜ英語で怒鳴ったか?「女性が目上の男性に対して対等な抗議の言葉は(略)日本語には存在しなかった……」からだ、と彼女は著書の中で記述している(たしかに、日本は目上の人には敬語を使うヒエラルキー社会だ、と私も思う)。