2018. 6月
「旧・優生保護法」の下、16,500人(うち男性3割)が
強制不妊手術を施行された!―その実態を探る― そのU
■各都道府県「審査会」の残されていた証拠書類による実例―
実例@ 1962年、15歳の少女を知的障害と診断した医師が、「(少女は)男性に興味を感ずる様であり、妊娠の可能性が高い」、「月経の始末もできない」と記載して申請。県の審査会の決定は「適」となっている(広島県立文書館)。
実例A 知的障害とされた13歳の少女に対し、医師は「二次性徴は成人並みに発達しており、痴漢の性欲の対象となる可能性がある」と申請し、「適」となっている(広島県立文書館)。
実例B 1980年、知的障害があるとされた19歳の少女に対し医師は、「色情強く、いつ行動に移るかわからない」と記載し、診断書には「貞操感がない」として申請、「適」となっている(福岡共同公文書館保存資料)。
実例C 1950年、22歳の女性を「精神分裂病」とした上で、「具体的に結婚話が進行しつつある。そのため優生手術を受ける必要あり」と医師が記し、「適」となっている(東京都立松沢病院精神科医が保有)。
実例D 1971年2月、審査委員会が「適」と決定した20代の女性について、申請した医師が「手術中止届」を提出。理由として「保護者の無知と盲愛(むやみに可愛がること)のため、関係者の説得にもかかわらず拒絶した」とあり、1ヵ月後には「関係者の努力により、ようやく、農繁期が終れば受けるとの約束を取り付けた」と記入されていた。
実例E ハンセン病(優生保護法では第三条Bの癩疾患)に罹患した少女が、ハンセン病隔離政策によって肉親から引き離され、隔離施設に強制入所させられた。親族は世間の偏見と差別から身を守るために、ひた隠しに隠したのだった。
女性(74)は「最後まで親子らしい会話をすることもなく、どれほど辛い思いをしたか……国は謝ってほしい」と、「ハンセン病家族訴訟※」提訴・2周年集会で語った。
■なぜ第三条Bで「癩疾患に罹り、遺伝する虞れある者」とされたのか?
ハンセン病は、抗酸菌の一種である癩菌(Mycobacterium laprae)の皮膚内寄生および抹消神経細胞への寄生によって引き起こされる感染症で、遺伝する疾患ではないのに、「優生保護法」の対象となっていた。病名は、1873年、らい菌を発見したノルウェーの医師、アルマウエル・ハンセンに由来する。
かつての日本では「癩病」と呼ばれ、親族に感染者が少なくなかったことから、第三条のB「子孫にこれが伝染する虞れのある者」として、強制不妊手術の施行がなされたと思われる。
ハンセン病は、1980年、WHO(世界保健機関)が中心になって治療指針を提唱。リファンピシン、クロファジミン、タプソンの多剤併用法の開発によって、治療法はほぼ確立した。世界の新規感染者数は約25万人、日本の新規感染者は年間0〜1人で、現在では稀な疾病となっている。ここで、訴訟の話に戻そう。
■旧・優生保護法の違憲性を問う 第1回口頭弁論
2018年3月28日、前述の被害女性(60代)が、国に賠償と謝罪を求める訴訟の第1回口頭弁論が、仙台地裁小法廷で開かれた。被告の国側は原告に対し、「当時、優生保護法は合法だった」ことを理由に請求棄却を求め、次回以降に持ち越す―とした。
これに対し原告側は、救済を長年放置してきた国の姿勢を厳しく批判。原告の新里弁護団長は、「被害者が万感の怒りを込めて起した訴訟だ。“被害者に真摯に向きあい、謝罪と補償をすべきだ”との世論を前に、解決の方向性を示せるか?国の姿勢が問われている」と弾劾。裁判後の記者会見で原告女性の義姉は、「彼女は幼い頃の麻酔治療の後遺症なのに、遺伝性精神薄弱を理由に15歳で不妊手術を強いられた。(略)義妹にも個性がある。この裁判を通して、障害者への差別を払拭したい」と訴え、新里弁護士は「被害者たちが次々に声を上げ始めている。被害者たちの粘り強い活動が、国を動かす原動力になるだろう」と語った。(次号へ続く)
※ ハンセン病元家族の原告568人が国に賠償などを求める訴訟(熊本地方裁判所)。