2019年1月
世界で起っている性暴力・性奴隷制!私を最後にするために!とナディア・ムラド そのT
■はじめに
2018年12月10日、ノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドさん(25)の自伝ともいうべき書籍(2018年11月30日東洋館出版社刊)『私を最後にするために』※1を読了した。この本の中から、ナディアさんが村を襲撃した「過激派組織イスラム国IS」の戦闘員によって拉致され、性奴隷として連日レイプされ、売買され、生死をかけて脱出した部分を抜粋しながら記述したい。
■イスラム教への改宗を迫られる村人たち
2014年8月12日、ナディア一家が住むコーチョ村に、イスラム国ISの司令官が最後通牒を持ってやってきた。「おまえらのヤズィディ教※2をイスラム教に改宗して、カリフ制国家に加わるか?それとも、それを拒否して苦しむか?」「猶予は3日だ!」と迫り、拒否した者は射殺され、家は放火された。
村は一瞬にして大パニックに陥り、命令に従わざるを得なかった。村人たちは全員、学校に集まるよう銃を向けられ、「女と子どもは2階へ」「男はここに残れ」と命じた。女たちが2階に上ると、突然、窓の外からざわめきが起った。窓越しに見下ろすと、村の男たちがトラックの荷台の上に何列にも並ばせられて発車しようとしていた。その中にはナディアの兄たちもいた。戦闘員らは、村の男たちをISの陣営に連行し、「改宗して戦闘員に加えるためだ」と説明。ナディアは恐怖におののきながら、何台ものトラックが、土煙を上げながら去っていくのを見送った。
■バスの中で虐待始まる!
その後、ナディアたち若い娘は2台のバスに、子どもや母親たちは3台目のバスに乗せられ、ジープの先導で走り出した。バスは大型で、中央の通路を挟んで両側に3人掛けのシートが40列も並び、窓にはカーテンが引かれていた。
やがて1人の戦闘員が、ナディアの頭に巻いたスカーフを(ヤズィディ教信者のきまり)銃の先で突いて言った。「改宗するか?」。ナディアは首を横に振った。この戦闘員は、アブー・バタトという名の35歳くらいの男だった。男は、数人の少女たちを座席から引っ張り出し、「顔を上げろ!」「笑え!」と怒鳴っては、自分の携帯電話で写真を撮って面白がっている。少女たちはパニックに陥り、嘔吐する者もいた。
突然、ナディアは肩を触られた。眼をあげると、アブー・バタトが立っていた。彼は手をナディアの服の内側に突っ込み、乳房をつかんだ。やがて離れると、バスの通路側の女の子たちの体をまさぐり、撫でまわし続けた。その後、再び彼が肩に触れた時、ナディアは叫び声をあげた。それをきっかけに、ほかの女の子たちも叫び始め、バスの中は殺戮の現場のような騒ぎとなった。すると、白いジープが横づけに接近してバスを停車させ、ナファという名の上位の戦闘員が乗り込んできた。ナディアは恐怖に震えながら、「乗っている間中、私たちの胸を触ってきたんです……」と、バタトを指さした。
バタトは大声で言った。「おまえらは、何のためにここにいると思っているんだ!」「ほんとうに知らないのか?」。そしてナディアの首をつかみ、頭をシートに押しつけると、銃を頭に突きつけた。「目を閉じろ、おまえを撃ってやる!」
ナファは彼の虐待行為に頷くと、言い放った。「おまえたちに選択の余地はない。おまえたちは性奴隷になるためにここにいる。だから、再び叫んだら、もっとひどい目に遭うことになるぞ」と。
■ナディアへの虐待は続く……
バスがモースル市街の大きな建物の前に止まった時、フロントガラスの上の時計は午前2時を指していた。「降りるんだ!」とバタトが叫び、ナディアたちは重い腰を上げた。そこは、見たこともない立派な(ISが略奪した)建物だった。中には、イスラム国の腕章をつけた戦闘員らが見張っていた。
奥の大広間には、バタトとナファが待っていた。「名前は?何年生まれだ?」とナファが訊いた。「ナディアです。1993年生まれです」と答えると、「おまえは不信心者で性奴隷だ。わかっているな?」と言って、バタトから1本の火のついた煙草を受け取ると、ナディアの肩に押しつけた。ワンピースとシャツが焼け、肌まで通して火は消えた。二本目の煙草の火は、ワンピースをめくられ、おなかに押しつけられた。こうして、ナディアたちは彼らの性奴隷になっていく……。
※1 ナディア・ムラド/著 吉井智津/翻訳
※2 イスラム国ISは、ヤズィディ教を「悪魔崇拝」とみなし、教徒の女性は「性奴隷」にして当然と公言している。