2019年4月

世界で起っている性暴力・性奴隷制!「私を最後にするために!」とナディア・ムラド そのW

■ひそかに扉を叩いた一家が、ナディアの脱走を支援
 「この家の人々は、危険を冒してまで、私を助けてくれるのだろうか?」とのナディアの不安をなだめるように、「アラクイム・アッサーム!」と、主・ヒシャームは祈りを口にした。「心配はいらない。私たちは、あなたを助けます」そして、「あなたがISの支配するこの地から、安全な地へ逃げる手助けをするよう、みんなと話し合う、心配はいらないよ、ナディアさん」と、優しくハグした。
 ナディアは、この一家を信じ、記憶していた甥・サバーフの携帯番号を伝えた。その電話にヒシャームが話しかけると、初めこそ疑っていた甥は、その電話の主がナディアを助けるために連絡してきたことに驚き、感謝をのべた。そして、「いま、KDP勢力圏のエルビルにいる、待っている」と伝えた。さあ、安全地帯への脱走を、どう工夫するか?

 脱走計画は、偽の身分証を手に入れることから始まった。3日後、息子のナーシルが身分証明書を手に入れることに成功。証明書にはナシールの妻、サファーの名が記されていた。つまり、ナディアは、息子ナーシルの妻を装って、安全地帯への逃避行をするのだ。ナーシルは言った。「目的地に着くまでには、ISの検問所がいくつもある。『行く先は?』ときかれたら、『キルクークの親族に会いに行く』と言うんだよ。それから、僕の妻なんだから、妻サファーの誕生日や両親の名前、僕の誕生日も覚えておくんだ。もし、検問所で答えられなかったらどうなるか?それでオシマイだよ」。ナディアは出発の日まで、その身分証に書いてある総てのことを暗記した。

■ナーシルの妻を装い、何ヵ所もの検問所を通過する―
 5日後の午前8時、ナディアはニカブで顔を隠し、ナーシルの妻らしく寄り添ってタクシー乗り場に向かった。タクシーの運転手は50代後半の男で、長距離運転の値段の交渉をしているようだった。やがて運転手はうなずき、タクシーのドアを開けた。ナーシルが助手席に、ナディアが後席に座ると、彼はバックミラーでナディアを見つめた。タクシーの運転手は客を監視し、怪しいと感じたらIS戦闘員に告げる―それがISの命令らしい。ナディアは恐怖心を感ずかれまいと、車窓の景色をみるふりを通した。

 最初の検問所で、戦闘員は身分証を手に取ると云った。「どこに行くのか?」、「キルクークです」とナーシルは答えた。「誰に会いに行くのか?」、「妻・サファーの家族に」、「どのくらいの期間だ?」、「妻は一週間滞在しますが、僕は送り届けたら、すぐ帰ります」とナーシルは手短かに答えた。ナディアが答えないですむよう、かばってくれたのだ。
 ナディアが、はっ!と身を引いたのは検問所の壁に貼られた3人の女性の顔写真に気づいた時だった。あの日、性奴隷にされたハッジ・サルマンにモースルの裁判所に連れていかれたときに撮られた顔写真だ。ハッジは言った。「お前が逃亡したら逮捕するための顔写真だぞ」と。
 これから通過しなければならない何ヵ所もの検問所の、どこにも、この顔写真は貼られているのだろうか?「私とわかったらオシマイだ!」その後も検問所の壁の顔写真を意識する度に、ナディアは激しい動悸に襲われるのだった。

あっさりした質問の検問所もあった。「おまえは誰か?」「ナーシルの妻です」とナディアは控え目に答えた。「行く先は?」「キルクークです」「なぜそこへ?」「家族がいるので会いに……」。それだけで通過。やがてタクシーが(ISが爆弾を埋め、いつ爆発するかわからないという)チグリス川を渡って次の地へと進んだとき、緊張したナーシルが、携帯を手に云った。「きみの甥のサーバフからだ。エルビルで待っている……」ああ、サバーフに会える!ナディアの胸は高なった。

 それから12時間は走っただろうか。車はキルクークの方向を指す標識のある交差点で止った。「私がお連れできるのは、ここまでです。私にとって、これから先は危険なので。検問所までは歩いていって下さい」。ナーシルは、運転手に礼を述べ、料金を払って車から荷物を降ろした。そして、次のタクシー乗り場の運転士と、目的地までの料金の交渉を始めた。これから先の検問所の通過は、どうなるだろうか?           次回へ続く

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