2019年6月

世界で起っている性暴力・性奴隷制!「私を最後にするために!」とナディア・ムラド そのY

■ナーシルとの別れ

 ナーシルはロビーの真ん中に、ひとりぽつんと立っていた。彼は、2日間に渡って通ってきた恐怖の道筋をもう一度辿り、IS支配地域のモースルに戻らなければならないのだ。彼は言った。「ナディア、きみはもう甥のサーバフと一緒だ。それに、他の家族とも会える。もう、僕がついていく必要はない……」。「あなたは危険を冒してまで私を連れてきてくれた!なんと言っていいか……」。「いや、すべきことをしただけだよ」とナーシルは言い、軽く手を挙げた。ナディアは泣いた。「気をつけて!帰ってからも、ISの戦闘員たちには気をつけて!あなたが私にしてくれたことは永遠に忘れない……」「幸せに暮らすんだ!神様がいてくださるよ、ナディア」「神は、あなたと共に、ナーシル……」。彼は向きを変え、出口のほうへ歩いていった。その後、彼との連絡は、つかない……。命を賭けてナディアを安全なこの地まで送り届けてくれた彼は、無事帰宅できたのだろうか?

■その後のナディア―国連・親善大使に―
 その後、ナディアは故郷コーチョ村の近くに建てられた「難民キャンプ」に移り、3人の兄たちとも出会うことができたが、母をはじめ多くの親族は、ISによる惨殺の犠牲者となって、再び会うことはできなかった。
 食糧難のキャンプでの数ヵ月が過ぎた頃、“人権活動”を立ち上げた人々が、ナディアの許に来て、ドイツの政府に「ジェノサイド※1の実態を証言しないか」と問いかけた。ナディアは決心してドイツに移り、過激派組織イスラム国IS戦闘員らの「性奴隷」として、性暴力、性虐待、性的売買の対象にされた事実を克明に語る任に就いた。
 2015年11月、ナディアは国連・少数者問題フォーラムのゲストとしてスイスに渡り、初めて何千人もの前でスピーチを行った。さらに1年後にはニューヨークへ。国連は、ナディアを、人身売買被害者の尊厳を訴える親善大使に任命。2018年12月10日、コンゴ共和国の産婦人科医デニ・ムクウェゲ氏(63)とナディア・ムラドさん(25)が、ノーベル平和賞を受賞した。

■「私を最後に!」
 ナディアは授賞式のスピーチで語った。「現在、世界各地でさまざまな紛争が続いており、その紛争の中で、性暴力・性虐待は、とどまることなく拡大しています。この世界で、このような体験を強いられる女性は、私を最後に!」と。

■過激派組織イスラム国ISのその後―
 ここで気になるのは、「過激派組織イスラム国IS」のその後である。(私事で恐縮だが)私のベッドの枕許には、片手で持てる直径25cmほどの、軽い地球儀が置いてある。そして寝転んだまま(毎朝5:30〜7:30AM)新聞を読みきることにしているのだが、紙面の中で特に関心があるのが国際面だ。国際面では、どうしても地球儀が必要になる。昨日(2019.5.16)を例に挙げると、イエメン、ジブチ、サウジアラビア、エチオピア、ブルキナファソ、ベナン、リビア、マリ……を探し当てた。というわけで、本稿、ナディア・ムラドの自伝「The LAST GIRL―イスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語」の要約を書きながら、地球儀を片手にシリア、イラク、イラン、トルコ周辺を何度確認したことか……。なので、“ISのその後”を、新聞による情報の中からピックアップして説明したい。

■米撤収後の過激派組織イスラム国ISは?
 2018年12月19日、トランプ米大統領は、過激派組織ISの壊滅を理由に、米軍の撤収を発表した。が、その前に、シリア内戦の説明が必要と思うので記述しよう。
 シリア内戦は、シリアのアサド政権が、民主化を要求する反体制デモを武力で弾圧したことがきっかけで起きた。同じ頃、過激派組織イスラム国(IS)がシリア、イラクで勢力を拡大。アサド政府軍は、反体制派とISの双方との戦闘を強いられ、苦境に陥った。そこで、シリアを支援してきたロシアは2015年9月、アサド政権を助けるために空爆を開始。イランもアサド政権を支持し、民兵を送り込んだ。こうして2017年、ISがほぼ壊滅に陥ると、政府軍は(うかつにも)シリア北部を支配するクルド人勢力をそのままに放置し、反体制派から次々と支配地区を取り戻していった。ISの残党は、世界中へと拡散していく……。

次回へ続く

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