北沢杏子のWeb連載
第102回 私と性教育――なぜ?に答える 2012年8月 |
知的障害児・発達障害児の「生きる力」を育む すばらしい授業
『こころをみつめて―知的障害学級から特別支援教育の質を問う※』のタイトルの、この本は4人の先生による知的障害児・発達障害児ひとりひとりの「こころに添う」教育実践の記録です。その中で、杉山敏夫先生の「学級に生活とドラマをつくる」と、永田三枝子先生の「自分と友だちを好きになる」を紹介しましょう。
杉山先生担任のクラスは高学年の6人。6年生のけんじ君は、朝、杉山先生を見つけると30メートルも先から、「おーい!てっぺんハゲタカ!シラガじじー、でぶ、元気か?おはよう!」と、嬉しそうに近づいてくるとか。
これに対し先生は、「私は言われるように頭部のてっぺんは禿げており、白髪が大半になり、彼ほどではないけど太っていたので“うまいこと言うよな”と思っていました」と大らかです。
杉山先生は鬼の絵が得意で、自作の絵本を、どっさり教室に持ってきて授業に使います。例えば算数の時間には、3人の鬼がトロッコに乗ろうと待っていますが、やってきたトロッコは車両が2つしかついていない。2人の鬼は乗って「らくちん、らくちん」。残された1人の鬼は「乗りたいよー、がおーん」と泣きます。つまり、子どもたちは「3人には3両編成のトロッコが必要だ」と理解するのです。
量を学ぶための教材もユニーク。「おいも、おいも、大きなおいも、重いぞう」とあって、次のページは象のイラストで「おいも、おいも、大きなおいも、象さんが食べるぞう」。そして、大きな象、小さな豚、もっと小さな小鳥が揃ってお尻をこちらに向けて、おなら!を発射します。そのあと大・中・小の「くさい」の文字で終っています。なんとユーモアたっぷりの教材でしょう。けんじ君の朝の挨拶、おならの絵本。私は一遍で気に入ってしまいました。
杉山先生はご自分の指導方針について、こう書いています。「学級は元気で、にぎやかで、ユーモアと笑いがあって、大きな怪我がなければよいと思います。(略)教師は学級のガキ大将になって先頭を切ります。そして子どもたちと“くんずほぐれつ”します」と。
永田先生のクラスは、6年生の男子2人に4年生の女子と男子が1人ずつ、3年生の男子1人、2年生の男子2人と女子1人、1年生の男子1人の計9人のクラスです。
永田先生は特別支援学級の指導方針として、「(私は)ずっと、大切な学習の柱として性教育を位置づけてきました。きっかけは二次性徴を迎えて大混乱になった女の子のために、切羽詰まって始めたことでしたが、その実践を通して、次々とやるべきことが見えてきました」と述べています。
私が特に感動したのは、子どもたちが自分の「からだの成長・こころの成長」について、ゆっくりと理解し、それぞれが、自分の成長を喜んで受け入れていることでした。
子どもから大人へ向かって成長していく過程を認識する勉強―まず、自画像風の切り絵を作ります。次に、大人の島と子どもの島を描き、その上に自分がいま、どの辺りにいるのか、それぞれの切り絵を貼りつけるのです。大人の島にはチーム・ティーチングの2人の先生を貼りました。4年生以下の6人は、迷わず子どもの島に。その理由は、「だってまだおっぱいが小さいもん」「ちんげ、なーい」からだそう。素直でかわいいですね。これも性教育の時間に「外性器・乳房・性毛」などについて、具体的な教材で、くわしく学習していたからのようです。
6年生のA君は、島と島の間の海の上に自分を置きました。「もう、子どもじゃない」という6年生としてのプライドからでしょうか。そこで先生が、「海の上は危ないから橋をかけようか」と提案。“思春期の橋”がかけられました。
すばらしいアイデアですね。A君はその理由を「性毛がはえてきたから」と発表。子どもの島のみんなからは「すごーい」「いいなあ」と大きな拍手。思春期の橋の真ん中に自分を置いた4年生のB子ちゃんの理由は、たぶん「おっぱいがちょっとふくらんできたから」でしょう。
ところが、A君と同じ6年生のC君は、みんなを説得できる体の変化がまだなんですね。悔し泣きを我慢しながら「こころが、もう子どもじゃない。低学年のお世話もしているよ」と発言。それで、子どもの島に近い“橋の入り口に立つ”ことで、みんなが納得。授業は成功裡に終りました。
二次性徴期のからだの変化について、子どもの島のみんなが「すごーい」「いいなぁ」と明るく肯定する―ずっと続けてきた性教育の成果です。性教育は人権教育の理念を掲げて40数年間続けてきた私も、思わず脱帽!の内容満載のこの本でした。ぜひ、おすすめです。
※『こころをみつめて』大高一夫・杉山敏夫・永田三枝子・森 博俊 著
(発行人 中間重嘉/群青社 2011年11月発刊)