北沢杏子のWeb連載
第106回 私と性教育――なぜ?に答える 2012年12月 |
性同一性障害の理解と支援 そのT
先月に引き続き、私が行なっている看護専門学校学生対象の講座のひとつ、「性同一性障害とは?」について記述したいと思います。資料は数冊の専門書と私が代表を務める「性を語る会」のシンポジウム『性の多層性―トランスジェンダーと性のあり方―』の記録です。当日、シンポジストの埼玉医科大学副学長・同神経科センター長の山内俊雄先生が平易な言葉で話してくださったそのお話と、ご著書『性同一性障害と性のあり方』(明石書店 刊)とを照合しながら書き進めます。
性同一性障害者とは「生物的な性と、性の自己認知が一致しない状態――“性別違和感”を持つ人のことで、オランダの統計ではMtF(男性だが自己認知は女性)は19,000人に1人、FtM(女性だが自己認知は男性)が34,000人に1人となっています※。
なぜ、こういうことが起こるのか?発生学的に言えば、受精の際に精子の性染色体(XX, XY)が減数分裂して、卵子にYが入れば男性、Xが入れば女性となっています。
これを“性の分化”から見ると、受精後7週頃までは男女ともに、男性性器になるウォルフ管と女性性器の原基であるミューラー管の両方が備わっている。これが8週になると、性決定遺伝子が働いて性分化が始まり、未分化だった精腺が精巣へと分化。10週になると精巣から男性ホルモンが分泌され生殖器の発達が促進される。一方、女性の方は11週頃から卵巣が、ついで子宮、膣の形成が始まるのです。
こうして精巣から男性ホルモンが、卵巣からは女性ホルモンが分泌されて、それぞれの性器の分化を促すわけですが、適切な時期に適切なホルモンが働くかどうかが決め手となる。この時期を臨界期と呼んでいます。
脳の分化はどうでしょうか?ヒトの脳が男と女の脳に分化するのは受精後20週以降といわれています。その時期に胎児の脳が男性ホルモンにさらされると男性脳ができ、男性ホルモンにさらされないと女性脳になります。男性脳になるための臨界期は20〜28週で、それより早くても遅れても脳の男性化は起こらない。このような臨界期のちょっとしたずれが“性の自己意識”の形成に関係しているのでは――ということです。
シンポジウム当日のゲストスピーカー「FtM日本」代表の虎井まさ衛さん(1963年生まれ・作家)は、FtM※※なのですが、お母さんが何度も流産をする体質だったので、「こんどこそは」と担当医にお願いして流産防止の黄体ホルモンを大量に投与してもらった。このホルモンに含まれるテストステロンが、「自分の脳の性分化に影響を与えたのだろう」と、彼は言っています。
日本初の性同一性障害の治療の発端は、1995年5月、埼玉医大「倫理委員会」山内委員長の許に、形成外科教授原科孝雄氏他産婦人科、泌尿器科、精神科の医師たちによる申請書の提出でした。それには「性転換治療は欧米では健康保険の対象にまでなっているのに、わが国ではタブー視され、患者は肉体の性と頭脳の性の差異に苦しみ、自殺にまで追い込まれている。治療を医学的に系統づけて患者の福祉に役立てたい」とありました。
それから1年余り、この難しい問題に取り組んで毎月、長時間の討議を重ねた結果、1996年7月、「性別違和に悩む人がいる限り、医学が手助けすることは正当であり、外科的性転換も治療の一手段」との答申を発表。日本精神神経学会の下、「特別委員会」を設置。1998年9月、埼玉医大ジェンダークリニックから、性同一性障害の1症例に対し、外科手術を行なうことの判断を求める申請があり、同年10月、わが国における初の性転換手術、“女から男へ”の手術が施行されたのです。
当事者の方々にとっては、性同一性障害の“障害”という差別語が受け入れ難い思われますが、倫理委員会としては“障害”と位置づけることで、将来、保険診療の対象として治療を受けるようにしたい、という強い思いからでした。
なにしろ、埼玉医大で手術を受ける場合、性別適合手術MtF(男性から女性)は120〜130万円。FtM(女性から男性)は160〜170万円だとか。保険診療実現のためには、当分“障害”の名称も我慢するしかないのかもしれません。次回は手術のためのガイドラインや、性別適合手術後の戸籍の問題を取り上げようと思います。
※ 社会的偏見がなく医療サービスが受けやすい国シンガポールでは、MtFは900人に1人、FtMは27,000人に1人となっている。
※※ 女性から男性への性別適合手術を受けた人