北沢杏子のWeb連載
第118回 私と性教育――なぜ?に答える 2013年12月 |
看護専門学校・学生のレポートから―15歳で日本に帰国して考えた性と生―
私が仕事の拠点としているアーニ出版ホールには、連日、東京および近県の看護専門学校の学生(11校、年間約600人)が、フィールドワークとして講座を受けにきています。講座の前半はアーニ出版製作の教材を使っての性教育の模擬授業、後半は私が主として時事問題を担当しているのですが、学生たちの感受性は鋭く、教える側にも感慨深いものがあります。この度、担当の先生から受講生のレポートが送られてきたので、その一部を転載しましょう。
今回、アーニ出版の研修会で性教育および「日本の人工妊娠中絶法(法律)の歴史と、あかちゃんポストの問題点」という講義を聴き、改めて性について考えることができた。私は15歳になるまで中国で過したため、中学3年生で日本に帰国するまで、性について何も知らなかった。日本にきて雑誌を手にしたのがきっかけで知り、その過激な性情報に衝撃を受けて、なかなか受け入れることができなかった。
今回の講座の前半では、「小学校3年生になりきった気持ちで聞いて」との注文で性教育を受け、性に対するイメージが変わった。汚らしいというイメージから、愛を基本とした卵子と精子の結びつきが「いのちの誕生」につながるという神秘的なイメージに変ったのだ。
日本では現在、学校教育の中での性教育がタブーであるため、子どもたちは市場に溢れる商品化された性の情報によって、誤った認識やマイナスイメージが刷り込まれ、それが性暴力や性犯罪などに繋がるのでは?とも思った。
私は現在「母性看護」について学んでいるが、今回の講座で、母親が一生の間に排卵する卵子は400個だけであり、その中の1個が父親の精子と奇跡といってもよいほどの確率で結びつき、私がいま、ここに存在していること、そして性とは「性=生」、即ち私自身が「どう生きるか?」に繋がる―ということを学んだ。
後半の『あかちゃんポスト』の講座では、生命そのものが、どのような意味を持ち、どう受けとめればいいのかについて、改めて考えさせられた。「産むか産まないか」は、女性に与えられた権利である。しかし、パートナーとの関係や経済的困窮、精神疾患他の理由で、子どもを生かすか殺すかの瀬戸際の時には、最後の砦として、匿名で子どもを預けられる場所である「あかちゃんポスト」は、唯一の救いである―と私は、初めは考えた。
しかし、子どもが思春期になって、自分の「いのちの存在」の意味、親に必要とされなかったことを知った時、どんな気持ちでいられるだろうか。自己の「出自」を知らない人のアイデンティティの揺らぎは生涯続く―という実話も聞かされ、最初こそ「殺されるよりは助けられた方がいい」と思ったことが、軽い考えだったと反省させられた。
私の家庭は、私が3歳のときに母が日本に帰国し、その後は祖父母と暮らしてきた。私は思春期にさしかかると、親に対する不信感、不満、また自分自身の存在の意味について悩んだ。親に対するいとしさや、相反する憎しみもあった。そうした過去のある私ゆえに、講座を聞きながら共感する部分が沢山あり、胸が一杯になった。
日々成長していく子どもにとって、何が最も必要なのか、どんな思いで、どんな気持ちで成長しているのかを常に推察して、社会面、精神面のサポート、心のケアを考えることのできる看護師にならなければと、改めて考えさせられた。
私自身も将来、生命に直結する看護職として、常に生命の尊さを考え、看護にあたることを忘れてはならないと痛感させられた一日であった。
このレポートを書いた学生さんのお母さんは、いわゆる帰国子女なのでしょう。お母さん自身も日本の侵略戦争の犠牲者として、辛い人生を歩んできた。そして、この学生さんも、お母さんが日本に定着して呼び寄せるまでの孤独な思春期を、ひたすら生きてきたことが想像できます。しかし、お母さんを育ててくれた中国の祖父母の愛情も忘れてはならないと思います。
やがて国家試験に合格して、看護師の資格を取得したら、いつの日にか、日本と中国の架け橋となる仕事に就くのでは?と期待しています。日本の過去の侵略戦争の歴史と結びつく、貴重な感想文でした。