第12回 

 私と性教育─なぜ?に答える

 


1995年4月、阪神大震災時、避難所の体育館で。

 

2005.2

あれから10年──
  言いたいことがいっぱいあった!

性を語る会代表  北沢杏子

 
         
 

 1995年1月17日に起こった阪神大震災から10年──いくつかの新聞からコメントを頼まれたので、その要約を書いてみます。

 震災後の、あの暗闇のガレキの中で、避難所で、校庭の隅で、男たちによるレイプ事件は頻発していたのにもかかわらず、それらは一切報道されず、社会問題として浮上してきませんでした。

 いま、中越地震、スマトラ沖大地震と矢継ぎ早に災害が起こり、インド洋大津波で両親を失った孤児たちが「人身売買」などに巻き込まれるケースが相次いでいることから、インドネシア、スリランカ、インドで子どもの登録制度が開始されたといいます。

大災害で最も大きな被害を受けるのは子ども、高齢者、女性、障害をもつ人々、そして外国人労働者といった社会的弱者です。

■避難所で見たこと、聞いたこと──

 10年前、あの阪神大震災が起こった直後、そして4月の1週間を私はボランティアとして神戸、尼崎、西宮の避難所になっていた学校の体育館を巡回し、ビデオの上映やワークショップ、避難先での、特に人間関係や性虐待について被災者たちと話しあったのでした。

 4月当時、阪神地区にはまだ、51,000人もの被災者が避難所での不自由な生活を強いられていました。だだっ広い体育館では、各家族がダンボールなどで仕切りをしてはいるものの、まったくプライバシーは保たれず、昼間から無気力に布団にもぐりこんでいる人々…そうした状況の中で下記のような性暴力が繰り返されていたのです。

・避難所の体育館で──おとなたちが出勤してしまった人気も疎らな日中、幼児を対象に性器を露出、また触らせるなどの行為が頻発。

・体育館の天井の照明は夜通し煌々と点灯──トイレに立った男性が眠っている女の子の胸や性器を触り歩くのを防ぐためだ。

・母親による幼児虐待──避難所での生活の疲れ、夫不在(出勤)による育児負担や、避難所の他者への気遣いなどのストレスが原因。

・乳児に添い寝をしていた若い母親が、外からの侵入者にレイプされ、止めに入った巡回中の教員が暴力を振るわれて大怪我。

・心的ストレス障害から──月経不順、無月経、下腹通他の理由で性生活が苦痛。夫の暴力に耐えられず、半壊の家に戻って自殺。

・ボランティアの女子学生が突然、リュックサックをつかまれ、半壊の建物のガレキの中へ引きずりこまれレイプされる。

・お風呂ツアー──ワゴン車を用意し、お風呂に入りたいボランティアの女子学生たちを誘って、解体現場に連れ込み輪姦。

 こうした被害を警察に訴えても「被害届けは一切ない」「もし、あったとしてもご本人の損でしょう」と暗に女性側に落ち度があるといわんばかりに無視。行政に善処を申し入れても「"復興の槌音高く”という報道のイメージダウンに繋がる」と取りあってくれないなど、信じられない多重災害の中に放置されていたのでした。

 そして、1月〜3月のレイプ事件のあと、4月〜6月は「中絶」へと女たちの災害は続いたのです。

 なぜ、レイプ事件はおこるのか? 
いま再び、怒りをもって10年前のことをここに記しました。

 
 

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