北沢杏子のWeb連載
第130回 私と性教育――なぜ?に答える 2014年12月 |
「障害者権利条約」やっと批准!日本は141番目の批准国 そのU
前回に引き続き、「障害者権利条約」の条文を実践した女性の例を紹介します。
● 第3話 第23条:性と生殖の自由が保障される権利
次の中村光子さん(42)は、大舎制※(80〜100人規模の入所施設)の知的障害者施設からグループホームに移り、職を得て通勤寮に移った女性で、パートナーとは職場で出会って結婚。「最初のうちは、(夫と)お金のことでよく喧嘩しましたけど、お金が悪いんじゃないから、“ありがとうって感謝しましょう”と2人で決めて、仲よくやっています」との、控えめな発言で会場の感動を呼びました。
障害者同士の結婚生活をサポートする人々があってのこととはいえ、権利条約の第23条:性と生殖の自由が保障される権利を獲得した光子さんです。
● 第4話 第19条:地域社会で自立した生活をする権利
最後のパネリストは、NPO法人代表 北川千鶴子さん(67)と、グループホーム施設長の石原千鶴子さん(61)。お二人は開口一番、「この仕事を始めて40年、私たちの変わらぬ理念は、障害のある人もない人も“地域で共に暮らす社会を目指して”の一言に尽きます」と明言しました。
NPO法人代表の北川さんは、グループホームを開設するたびに隣近所から文句が出る、入所者の妊娠や、入所者による出火事件など、さまざまなトラブルにもめげず、第19条:地域社会での自立した生活をする権利の実現のために、警察、消防署、病院、市役所を駆け回り、奮闘してきました。
一方、石原さんの職歴は、40年前の大舎制時代の施設での「心理療法士」として出発しました。「当時は“障害者措置”の時代で、障害者は押さえつけられ、自分の気持ちを伝える、自己主張する自由などありませんでした」と、振り返ります。そして、“性に関する驚くべき事例”を挙げました。
施設から逃げ出し、妊娠した体で戻ってきた知的障害のある女性が、ちょっと目を離した隙に再び出奔。行方不明となり、数ヵ月後に探し当てた時は、多摩川の河川敷でホームレスの男と一緒に暮らしていた。そして「川原で陣痛が起きて出産したらしいのですが、あかちゃんを置いたまま、いなくなってしまって……」と。幸い、凍死寸前だったあかちゃんは、乳児院に保護されたとのことですが……。
そうしたさまざまな体験を経て、現在は小舎制のグループホームの施設長となり、男女あわせて16人のホームを、世話人8人と石原施設長、助手の10人で運営しています。
「今になって振り返ると、大きな施設に障害者をぎっしり詰め込んでいた大舎制時代には、障害者の権利なんて念頭にもありませんでした」と、反省しきりでした。
■さようなら施設――大舎制から小舎制へ
この大舎制(規模の大きな施設)から小舎制(グループホーム)へと切り換えの動機を全世界に向けて発信したのが、スウェーデンの知的障害者、オーケ・ヨハンソン氏(1931〜2002年)でした。
彼は、9歳から44歳までの35年間、大舎制の知的障害者施設で過しました。彼の著書、通称『オーケの本』には、施設を出ようと決意した日のことが、こう書かれています。
「1975年4月7日、僕は初めて他人に聞こえるような大声で“ロンネホルム(施設)から出て、自分ひとりで生活を始めることに決めた”と叫んだ」。「そして6月7日、ようやく自分の手で自分の部屋のドアを閉めることができた。私は自分のアパートに住む。私は自分で自分のことを決めるのだ。このドアを急に開けて怒鳴ったり、命令を下す者(施設の職員)は誰もいないのだ!」と。
彼が一人暮らしを始めると、間もなく知的障害者連盟FUBのメンバーが訪ねてきました。そしてFUBの月例集会での討論にも加わるようになり、やがて地域の理事会のポストに。その後、FUBの県連盟代表を経て、国際会議の代議員として講演を行なうようにもなったのでした。
■オーケ・ヨハンソンが世界を動かした「施設の解体」
1982年、初めて世界中の障害のある当事者たちが参加した国際障害者連盟世界大会・ナイロビが開催され、彼は世界の障害者の代表として(通訳つき)数千人の聴衆の前で講演。引き続きリオ・デ・ジャネイロ、パリ、フェロー諸島、ブタペスト、バンクーバー、フィンランド、ノルウェーの各会議でも、「大舎制から小舎制への福祉政策の変革」を主張しました。
彼が常に訴えたのは、「施設が人間にとってどういうものなのかを、世界中に伝える必要がある」「障害者も、普通の人とのインクルーシブな(一体となった)環境で生活すれば、その人自身のテンポでゆっくり成長してゆくものだ」「しかし、施設に閉じこめられてしまうと、その成長は、そこで止まってしまう。自分自身で決定する機会を奪われれば、成長できるわけがないのです」と。
「障害者権利条約」の権利とは、まさに、障害者自身の自己決定の意思の尊重と、尊厳の遵守、合理的配慮の提供にあることを、彼は実証したのです。この提言によって、スウェーデンでは、1999年12月31日をもって、全ての大舎制の知的障害者入所施設は「解体」され、グループホームの個室で生活することが保障され、今日に至っています。
※ 日本では、100〜500人収容の大きな施設(大舎制)がふつうだったが、1989年に厚生労働省による「グループホーム制度」(小舎制)ができ、知的障害者が地域で生活できる体制が広まった。が、まだまだ、全ての大舎制施設の「解体」というところまではいっていない。