北沢杏子のWeb連載

132回 私と性教育――なぜ?に答える 2015年2月

 

なぜ男の子に性教育が必要なのか?

 私が仕事の拠点にしているアーニホールで、1月17日(2015年)、「性を語る会」(1987年設立、代表 北沢杏子)主催の第107回シンポジウム『男の子の性教育―思春期のこころとからだ―』が開かれた。“男の子の性教育”とは珍しい!と、会場は満員の大盛況だった。

■なぜ、男の子に性教育が必要なのか?

 当日のパネリストの1人で私立・立教小学校(男子校)保健体育担当の五十嵐潤先生は、そのレジュメにこう綴っている。
 教室で寝っ転がりながら遊んでいる2人組を見て、周りの子が“セックスしてるゥ”と言ったり、“先生、奥さんとあれ、したことある?”と聞いてきたりする3〜4年生。こっそりと性風俗のサイトについての情報交換をしている5〜6年生。“みんな笑ってくれるから”と、おもしろおかしく性に関する言葉を乱発する子どもたち……。
 「男の子は自然にわかるはず」「放っておいて大丈夫」とよく言われる。しかし、インターネット、スマートフォンの普及により、子どもたちの環境は激変しており、さまざまな画像、情報が子どもたちの目に入ってくる。このような社会になった今こそ、男子に性教育は必要なのです!

 さらに、もう1人のパネリスト、同じ立教小学校の吉田那津実養護教諭のレジュメには、ご自分が小学校5年生のとき、女子だけに行われた“初経教育”(この時間に男子は校庭で体育)は、すんなり受け入れられたが、中学1年生になって男女共修で行われた思春期の性教育では、(特に男の子の射精や夢精、勃起について)「気持ち悪い」「いやらしい」という拒否反応が男子、女子共に起こり、ざわついた。今考えると、受け入れがたくしている雰囲気があったのだと思う――とあった。

■女子には「初経教育」、男子には「精通教育」を!
 女子には4〜5年生に「初経(初めての月経)教育」をするのに、男子には「精通(初めての射精)教育」をしないのがあたりまえとなっているのはなぜか?現在、男子の精通は低年齢化してきているにもかかわらず、教えないため、突然の射精や夢精に驚いたり、悩んだりする子どもも少なくない。女子の初経教育と同じように、あらかじめ教えておく必要があると思う。
 シンポジストの五十嵐先生は児童たちに、「射精を体験したら(大人に向かって順調に成長しているのだから)“家の人に告げよう”と言っている」とのこと。
 ホールの女性からも、「女の子の初経には、赤飯を炊いてお祝いをするのだから、男の子の場合もお赤飯でお祝いするといいですね」の声があがり、会場から拍手が湧いた。
 確かに“精通”は、第二次性徴期にさしかかった「成長の証拠」だと、自己肯定するよい提案だと思う。

 私には2人の娘がいて、初経を迎えたとき、私には“お赤飯”に、拒絶反応があって、それぞれ、ケーキで祝った記憶がある。なぜか?その話を追加しましょう。

■日本に古くからあった「女とけがれ」の思想―
 1631年、伊勢神宮は庶民に対し「出産と月経時のけがれの慎しみ方」を文書として出している。これが江戸時代になると「血盆経」の隆盛となって国中に拡がっていく。
 女性や少女は出産や月経時に、血を流して地神をけがすばかりか、血でよごれた衣類を川で洗濯する。下流では、その水で茶を煎じ諸聖(仏教上の聖人)を供養する。それらの罪で、女は死後、「血の池」に落ちる―というのである。
 そして出産や月経時の女性や少女は、(明治の初め頃まで)産屋・忌屋という、村はずれに建てた仮小屋で過す風習があった(瀬川清子著「女の民俗誌―そのけがれと神秘」より)。
 それでいて「初経」は、ハツヨゴレと呼んで特別に祝ったという。女の子が初経を迎えると、親は紋付羽織袴を着て提灯を点け、娘をヨゴラヤ(月経時を過す小屋)に送っていく。そして、村の若い衆を大勢招いて、赤飯、餅、酒、肴で盛大に祝う。つまり、「娘が子産みのできる女になった」ことを、若い男たちに披露するのである。
 通過儀礼といえばそれまでだが、「赤飯と酒で祝われる女のけがれ」とは、いったい何だろう?家父長制社会の中では、子産みができる体になったかどうかが、その少女の価値を決めてきたのだ。
 というわけで、女の子の初経を赤飯を炊いて祝う古くから伝わる習慣も、その舞台裏がわかってくると、私には肯定できないのである。

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