北沢杏子のWeb連載

137回 私と性教育――なぜ?に答える 2015年7月

 

「ひとりひとり大切ないのち」を受講した学生のレポート より

 私は現在、仕事の拠点としているアーニ出版ホールで、医大附属看護専門学校他の(13校 600人)3年生対象に「性に関する時事問題」の講座を行っています。看護師はいま、男子学生も加わり、少子高齢化社会のわが国に欠かせない職種。患者さんという人間対象の仕事を選んだとあって、その真摯な向学心と豊かな感受性に、私のほうが圧倒されています。
 私の講座のテーマは、年度ごとに、10項目を設定。その中から受講生の要望に応じて講義を展開しています。この日のテーマは「知的障害児・者の思春期・恋愛・結婚」でした。ここに、ひとりの受講生のレポートを転載してみましょう。

■「驚き」と「学び」でいっぱいの性教育講座だった!
 私は小学校高学年で月経の手当て(処置教育)しか受けたことがなかった。今回、「看護学実習の一環」として受講したが、この研修は私にとって初めての「性教育」の受講であったとともに、「大切ないのち」を「どう生きるか」という、この世に生を受けて生きていく上で基盤となる教育であったことに、驚きと学びでいっぱいになった。以下、特に印象的な学び3つを取りあげる。

 1つ目は、「性」は「生きること」に繋がるということである。今まで私は、「性」とは“恥ずかしいもの・隠すべきもの”と考えていたが、講義を終えて“大切なもの”という考えに変わった。そのきっかけは、「プライベートゾーン」だった。「この水着で隠されているところは大切なところだよ。だから見たり見せられたり、触ったり触られたりしてはいけないんだよ」「大切なものだから、自分のも相手のも、お互いに大切にしていこう」という言葉だった。
 なぜ大切なのか?それは「両親が力を合わせてあなたのいのちを作ったのだ」という、自分という存在(自己肯定)を促すものだった。

 2つ目は、「対象者の発達段階や背景を考える」ということ―障害を持った児・者に対する性教育の教材として、イラスト・人形(出産するお母さん人形)・歌・映像を取り入れ、“具体的にイメージさせることが大切”と学んだ。アーニ出版の教材はどれも、語りかけるような優しい言葉で、より具体的な場面を表現しているのが印象的だった。
 また、障害を持つ子どもや被虐待児などに対して、親や指導者は、「ダメ!」「やめなさい!」など、つい否定的な反応をしてしまいがちだが、決してこちらの考えを押しつけず、再度受け入れることが重要であると気づかされた。
 「あるがままの自分を受けとめられた」ことで、安心感と信頼感が育まれ、「よりよい関係性を築くことができる」という北沢先生の発想に、非常に共感した。“相手の気持ちになって考える”ことを忘れてはいけないと、改めて感じた。

 3つ目は、「自己肯定感」を育むことである。露出症の男から性器を見せられた児童が、教員にそのことを伝えたことに対して、「怖かったでしょう。勇気を出して伝えてくれてありがとう」と応じた話を聞き、その言葉に共感した。
 また、障害児・者は二次性徴による体や心の変化に戸惑う反面、家族などの周囲の人びとは「性器いじり」などの行動に対してどう指導するべきか、悩んでいる現実を知った。
 大切なことは、「できないこと」「やってはいけないこと」を叱るのではなく、「できるようになったこと」「やらなくなったこと」に着目して、具体的に褒めることであるということを学んだ。
 指導する方法としては、(人前でマスターベーションをしなくなった子どもに)教師は、「お母さんが、嬉しいって言ってるよ」とか、母親は「お詫びしなくてよくなったから、お母さん嬉しいな」など、「感情の共有」をすることが大切であることを、北沢先生のイラストを使った実例のお話で気づいた。

■看護師として目指すもの―
 最後に、看護師を目指す私にとって、現代社会に存在するさまざまな「性」に関する問題を認識し、対応できるようになることは欠かせないと考える。
 今回、社会問題としてDV、商品化された性、性的マイノリティ(LGBT)への差別、売買春などに対して、嫌悪し拒否するのではなく、受け入れながら解決策を考え、「ひとりひとりを大切にする関わり」ができることが重要だと感じた。
 さらに私は今回の性教育研修を通し、看護師として、患者さん一人ひとりを「かけがえのないひとりとして大切にすること」や、「患者さんの思い・立場を受け入れ、理解すること」を大事にしていきたいと感じた。
 これからは、患者さんの背景や発達段階の理解に努めると共に、患者さん自身や病状によい変化が起きたときは、共に喜び、寄り添える看護師を目指していきます!

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