北沢杏子のWeb連載
第141回 私と性教育――なぜ?に答える 2015年11月 |
「正しく知ろう!無防備な性行動と性感染症」を受講した学生のレポートより
私は現在、仕事の拠点としているアーニ出版ホールで、東京および近県の看護専門学校3年生(13校 600人)対象に「性に関する時事問題」の講座を行っています。私が提供し、受講生が選ぶテーマは10項目。今回は上記のテーマを選んだ1人の受講生のレポートを紹介しましょう。
特に、この学生がラストで、将来の夢を「JICA(国際協力機構)の保健活動参加を目指して……」と、大きくはばたいているのが素晴らしい。たぶん講座の中で、私自身がJICAの仕事としてラオスやチュニジアに派遣され、「性と生殖に関する健康と権利」のワークショップを行った成果について話したことが、印象深く残ったものと思われます。感受性の豊かさと新鮮な発見、希望に輝く若い学生たちに、私こそ感謝の気持ちで一杯!
ゆっくり読み進めてください。-------------------------------------------------------------------------------
私がこのテーマを選択した理由は、過剰な性情報の氾濫から、性犯罪や性感染症が増加する現状に、日頃から脅威を抱いていたからだ。そのため現在の「性教育」の実態を知り、問題点と課題を追求したいと思ったからである。
私が初めて性教育の授業を受けたのは小学校3年生のときだった。ところが、記憶として残ったのは授業の内容ではなく、周りの大人たちの反応だった。保護者からクレームがつき、学校側からも担当教諭に厳しい勧告があったという。理由は、「授業で“セックス”という言葉を使ったから」と。
私の母も「性は恥ずべきこと」という感覚を持っており、テレビの性描写などを消していた。当時の私は、その反応の意味が理解できなかったが、なんとなく、「性は恥かしい・いけないことだ」という感覚が刷り込まれたと思う。
5年生になると、二次性徴をむかえた友人も増えてきて、友だちの間でも性の話題がでるようになり、ある日突然、女子だけ集められて「月経の手当て」についての授業を受けた。
いま考えてみると、私の性に対する知識は、友人間の会話やマンガ、メディアが主だった。その後の中学・高校での「性教育」は、「保健」の教科書を通読するだけで、性とは、恥ずかしい・いけないことという感覚が先行し、10代に特に必要な「正しい性教育」を十分に受けてこなかったと思う。
なぜ日本では性がタブーとされているのか?なぜ正しいことを正しく、自然なことを自然に考えられないのか?その理由をいくつか考えてみた。@日本には“くさいものには蓋をする”という諺があるくらい、不都合な問題を軽視する風習がある。A性に対して嫌悪感を持つ文化・伝統がある。B西欧文化の流入による「性概念」に対しての厳しい固定観念がある。C男らしく・女らしくといった、ジェンダーの問題と人権意識の欠如―など、日本特有の文化や風習から、性教育のタブー視が広がったと考える。
現在は、教師用指導要領で「性交」「経膣分娩」が禁句になっていると、今回の講座で知り、驚くと同時に今後の性教育の方向性に不安を覚えた。「保健」の教科書では、「かけがえのないいのち」として、生命の大切さを強調しているのに、生命がどのようにして作られるかを教えないのはなぜか?
正しい知識を伝えづらい社会環境が、現代の日本の抱える性教育問題を作り出していると感じる。正しい知識が中途半端に身についてしまっては、性的社会問題は増える一方だと思う。生命の大切さや性感染症予防の対策を知るため、性教育はとても重要だと改めて実感することができた。
講座で紹介されたデンマークやスウェーデンの小学校1〜3年生の教科書のように、真実を伝える教育こそが「教育のあり方」だと感じた。自然なことを自然に捉え、お互いの人権を尊重するためには、マンガやネットで刷り込まれる「間違った、商品化された性の情報」を正す必要がある。
そのためには、まず小さなコミュニティーから始めてみるのもいいかもしれない。学校教育にばかり頼るのではなく、家庭で親から子どもへと伝えることは出来る。教育者側の「教えたいのに教えられない」というもどかしさを解消するためにも、私たち看護職者が、地域の子どもたちに、10代の少年少女たちに、正しい性教育を行う大きな役割を果すべきだと痛感した今回の講座だった。
今回は、とても興味深い講義をありがとうございました。これからの日本の保健活動・指導・教育に対して関わっていきたいと強く感じました。日本だけでなく、JICAの保健活動参加も目指して、幅広くグローバルな視野で、性の問題に取り組んでいきたいと思います。