北沢杏子のWeb連載
第148回 私と性教育――なぜ?に答える 2016年6月 |
私は現在、仕事の拠点としているアーニ・ホールで、医大付属看護専門学校3年生(12校 年間約500人)に、“性に関する時事問題”をテーマに講座を行っている。で、看護師として役立つ資料として「看護の日」記念の公募作品を選んだ。感動的なエピソードを、ここに紹介したい。
日本看護協会主催 第6回 忘れられない看護エピソード
(2016年5月12日 朝日新聞より)看護の日※ 一般部門 最優秀賞受賞作品
静かな勇気 高野裕子さん(滋賀県)
12年前の冬、ある病院で私の夫は最期の時を迎えようとしていました。
まだ35歳―闘病の3年間、手術や抗がん剤治療を繰り返しながら、病院内での「患者と家族の会」を立ち上げ、精一杯、病気と闘ってきました。
そして、よく笑う幼い2人の子どもたちと、穏やかで幸せな日々を送っていました。
しかし、病は夫の体の自由を奪い、感覚を奪い、次第に意識をも奪っていきました。痩せた体は驚くほど脚がむくみ、私一人では抱えきれない状態になりました。
そんなある日、私は夫の着替えを手伝ってくれている看護師のUさんのお腹が大きくなっていることに気づきました。もっと早く気づいてもよかったはずですが、日ごろからお腹をかばう様子も見せず、いつもキビキビ動き回る姿は、とても妊婦さんには思えなかったのです。
遠慮がちにUさんに聞くと、やはり、あかちゃんがいるとのこと。すぐほかの看護師さんに代ってもらうようお願いしました。が、Uさんは聞き入れてくれません。
夫の体は相当な重さです。夫の体を抱えたとき、ベッドの縁がUさんのお腹に当たり、ぐにゅっと、くい込むのが見えて、思わず声が震えました。
「お願いだから、誰かに代わってもらいましょう。彼は、とても子どもを大切にする人です。もし彼が話せたら、きっと「やめて」って言うと思います。だから、もうやめて……お願いだから……」
その時、必死で懇願する私にUさんは言いました。
「実は私、あしたから“産休”に入ります。きょうが高野さんのお世話ができる……たぶん、最後の日になると思います……」
「最後の日」というUさんの顔が、ゆがみました。すべての意味を含んでいるのがわかりました。
「私たちは今まで、高野さんと奥さんのがんばりを、ずっと見せてもらっていました。諦めない明るいお二人を見ながら、今のどうしようもない現実が、とてもつらいです……」。その目は真っ赤で、今にもこぼれそうなほど、涙が浮かんでいました。
「高野さんの姿を見ながら、この子が生まれる意味を、私はとても感じさせてもらっています。だから今日は、私にやらせてください。決して無理はしませんから……」。
そのあと、Uさんと私は一緒に泣きながら、笑いながら、そして、Uさんのお腹の中のあかちゃんに話しかけながら、時間をかけて夫の着替えを終えました。
逝くことと、生まれること……そして、それらに添って見守ることを、私たちはそれぞれの立場で共有していたのでしょう。それは、途方もなく寂しく、温かく、優しい時間でした。
現在、私は「入院患者と家族のためのサポートハウス」を作ろうと、奮闘しています。小さくてもいいのです。あの時もらった優しい時間と静かな勇気を、同じ立場の誰かに届けたいと思っています。
あのときのあかちゃんは、きっと、もう12歳。あの日からずっと、会いたいと思っています。忘れたことはありません。Uさん、もし会えたら、抱きしめてもいいですか?そして囁きたいのです。
「あのときは、協力してくれてありがとうね。あなたと、あなたのお母さんがくれた勇気を、今でも、うれしく覚えているんですよ」と。
※ 5月12日は「看護の日」―フローレンス・ナイチンゲールの誕生日。
5月12日にちなんで、この日を含む日曜日から土曜日までの1週間が、 看護週間と制定されている。