第16回   私と性教育 ─なぜ?に答える     2005.6 (先月号よりつづき)

 


 
1965年から40年間、性教育ひとすじに研究と実践を積んできた私の性教育の概念を図式化したもの。

   

性教育の樹──私の概念と実践(2)          性を語る会代表  北沢杏子

 

(先月号よりつづき)

■自尊自愛・自己決定がキーワード
  つぎに性教育の樹の幹を見てみましょう。幹には自尊自愛(自己肯定感の獲得)と自己決定(性行動への自己決定力)をいれました。

 私が中学、高校で授業を行なうにあたって、事前にアンケートや質問をとると、望まない妊娠や中絶、性虐待、性感染症、HIV/エイズ、援助交際などが質問や悩みとして書かれています。これらの原因として、いまの10代の自己肯定感の低さ、周りの仲間と同じでないと安心できないといったピアプレッシャーへの抵抗力のなさ、正確な性教育を受けていないための無知などが、これらを引き起こすのでは?と感じます。

 ですから、まず、自己肯定感を育てる――自尊自愛の意識が持てるようになれば、自己決定――目の前の性行動に対して自信を持って決定できる、ということから、これを幹の中心に据えました。

自己肯定感を育てる
  自尊自愛の意識を育てるために、私が学生対象に行なっているワークショップの例を紹介しましょう。

 まず、学生たち一人一人に訊きます。「あなたは自分のどこが好き?」と。すると、「目標を決め達成するところ」「前向きに生きる性格」「他人に寛容」などと、精神面の回答が返ってくるのが普通です。つぎに、「ではあなたは自分の容姿のどこが好き?」と訊くのですが「えっ、容姿?それは……えーと」と、すぐには答えることができません。

  わたしたち日本人は、精神的な美点を口にすることはできても、容姿について述べるのは不得意というか、口にすべきではないという価値観が刷り込まれているのですね。

  脚が太い?いいじゃない!「大地にしっかり根をおろしている私の逞しい脚を見て」と言いましょう。太っている?いいじゃない!「私の、この包容力のシンボルのような肉づきの豊かさを見て」「この細く切れあがった一重瞼を見て」「どっしりした骨盤が自慢」と、わたしが一人一人の容姿の個性的美点を指摘していくと、学生たちはそれぞれの容姿――他人にはない自分のよさに気づき、自尊自愛の意識を獲得していくのです。こうしたトレーニングも、自己肯定感獲得のひとつの方法だということがおわかりでしょうか?

  このように、性教育を行なうときは、まず幹に何を置くか(それは、あなた自身が決めることですが)を決め、対象の子どもの発達段階にあわせて(少々難解と思われる理論展開でもいいと私は考えているのですが)、自尊感情が自信に繋がり、自信が自己決定を可能にし、自己決定が行動の変容――例えば、男性優位の性行動にたいして「ノー」と拒否できるようになる……などを、相手の心に沁みる言葉で、話してほしいと思うのです。

  こうして、しっかりした信念に基づいた性の指導によって、女子、男子ともに、保健行動が選択でき、ジェンダーの平等が抵抗なく身につき、その延長線上に、人生の目標といっても言い過ぎでない自己実現への道が啓けていくのではないか。ここで初めて、性教育は人権教育――という、性教育の理想に到達できるのだと私は考えているのです。


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