北沢杏子のWeb連載
第169回 私と性教育――なぜ?に答える 2018年3月 |
熊本市・慈恵病院「こうのとりのゆりかご」が
ドイツの「内密出産法」の導入を検討!
―そのU―
■検証委員会の勧告と「ゆりかご」側の対立
2015年1月20日、生後間もない男児の遺体を「ゆりかご」のベッドに置いたとして、その母親が「死体遺棄」の有罪判決を言い渡されるという事件が起こりました。「ゆりかご」検証委員会はこの事件を受けて、
@母親が定期的な妊婦検診を受けて、自宅ではなく、医療機関で出産していれば、男児は死亡せずにすんだはずだ。
A最近、自宅出産や(「ゆりかご」までの)車中出産の割合が高くなっており、また、産婦の知識不足から、乳児の安全性が保障されない場合も少なくない。
B熊本市および慈恵病院等の関係機関は、妊娠に悩む女性が安心して相談できる窓口、および専門職(助産師)の立会いのない自宅出産の危険性について、広く周知させる必要がある。
C(子どもの権利として)預け入れにあたり、(匿名ではなく)実名化を前提とするように―
と勧告しました。これに対し「ゆりかご」代表 蓮田理事長は、
@「ゆりかご」がなければ遺棄されていた命だ。命を救える最後の手段として、「ゆりかご」をもっと知ってもらい、命だけは救ってあげたい。
A他人に妊娠・出産を知られたくない人が来るのだから、匿名での受け入れは必要だ。むしろ、“匿名では受け入れてくれない”と誤解されていないかが心配だ―
と、預け入れに来た者との接触を、現状より厳しく行わない方針をとっていると回答。双方の対立は厳しいものでした。
■ドイツの「ベビークラッペ」を視察、日本にもと……
そもそも「こうのとりのゆりかご」設置のきっかけとなったのは、慈恵病院の蓮田太二理事長が、2004年、ドイツの「ベビークラッペ(赤ちゃんの扉)」を視察し、日本にも必要と考えたのが発端でした。
ドイツでは2000年4月に、ハンブルグに最初のベビークラッペが設けられ、1年後には22ヵ所、3年後には60ヵ所と、その数は増え続けて、「こうのとりのゆりかご」が開設された2007年には、ドイツ全土で80ヵ所設置、その施設合計で、年間50〜60名の乳幼児が預けられるということです。
「ベビークラッペ」は、あかちゃんが生命の危険にさらされる場所(公衆トイレや路上に置かれたゴミ箱など)に置き去りにされることを防ぐため、また虐待死を防ぐことを目的として、設置されました。
対象者は、あかちゃんを育てる生活に希望が持てず、相談所にも行けない事情をもった女性たち。具体的には、さまざまなDVにさらされている女性、未婚の10代の少女たち、ホームレスの女性、婚外妊娠を蔑視する文化に属している移民労働者の娘たちでした。
「ベビークラッペ」に預けられたあかちゃんは、規定の期間(預け入れから8週間以内)に実母が名乗り出ない場合、または匿名で預けた場合は、養子縁組※が行われるシステムになっています。
■あかちゃんがゴミ箱に捨てられる前に―
2007年1月、ベルリン市内のあるバス停に、あかちゃんが置き去りにされているのが発見されました。そこから「ベビークラッペ」まで僅か200mほどしか離れていなかったこともあり、この事件をきっかけに、ベルリン州の政党“緑の党/90年連合”は、3月末に1週間のベビークラッペ・キャンペーンを行いました。
『ベビークラッペ!あかちゃんがゴミ箱に捨てられる前に』のタイトルで、ベビークラッペの所在地の地図が明記されたポスターが、市内のあちこちのバス停に貼り出され、またウェブサイトの設置や公聴会も行われました。
上の写真は、あかちゃんが捨てられたバス停に置かれたポスターです。バスが走っているのがわかりますね。
バスの後方に見えるのが有名なヴィルヘルム皇帝記念教会。この教会は、ドイツを統一した皇帝、ヴィルヘルム一世を記念して市の中心部に建てられたのですが、第二次世界大戦の空襲で破壊されました。
破壊された教会の姿を、そのまま残すことで「平和のシンボル」となっており(広島の原爆ドームと同じですね)、人びとの心を打つ建物です。
第二次大戦末期、この教会の地下壕に避難したベルリンの市民400人もが、空襲で死亡しました。
破壊された教会と、あかちゃんのいのちを救う「ベビークラッペ」のポスターが並列されているところに、人間の死と生を想起させる印象深い写真ですね。 次号に続く
※ ドイツ民法における養子縁組成立手続では、実父母の同意が必要とされている。
父母行方不明(ベビークラッペに名乗り出ないなど)または匿名により不明な場合は、
後見人が任命され、後見人の同意に基づき、養子縁組手続が進められる。