北沢杏子のWeb連載

170回 私と性教育――なぜ?に答える 2018年4月

 

熊本市・慈恵病院「こうのとりのゆりかご」が
ドイツの「内密出産法」の導入を検討!
その諸問題を考える ―そのV―

■(自分の)「出自」が不明ということ、について考える―
 私は現在、仕事の拠点としているアーニ出版ホールで、医大医学部看護学科および看護専門学校の学生対象の、性に関する時事問題の講座を行っているのですが、学生たちの間では、「殺されるよりは匿名でもいいから“こうのとりのゆりかご”に預け入れられたほうがいい」との意見が圧倒的に多いのです。
 確かに、望まない妊娠・出産に悩む女性にとって、それは“救われる道”かも知れない。だが、「出自(アイデンティティ=自己証明)」が不明のまま生きていかなければならない「子どもの人生」を、どう考えればいいのでしょうか?

 「こうのとりのゆりかご」が運営を開始した2007年5月10日の数日後に、4人の若い男性が「自分たちは、どういう育ちをしてきたか?」について語る場面が放映されました。
 1986年、群馬県前橋市の郊外に同じような施設があったそうです。「ゆりかご」のような立派な施設ではなく、プレハブの建物だった。6年後の92年、夜中に預けられた赤ちゃんが、凍死したという痛ましい事件があり、その施設は閉鎖されました。放映された4人の若者は、閉鎖される前に、そのプレハブの施設で救われ、乳児院、児童養護施設を経て、社会人として独立した人びとでした。彼らは、自分が育ってきたプロセスの中で、いろいろと悩んできたことを訴えました。最も悩んだのは、自分の「出自」についてだった、と。
 「親は、いま、どこにいるのか?」「なぜ、自分を遺棄したのか?」「一度でいいから会ってみたい」「遺棄した理由を聞いてみたい」。彼らは、「出自」が不明であることに、これからも悩み続けるだろう、と口々に訴えたのでした。

 そういえば最近、ネットでこんな映像を見ました。「ゆりかご」に預けられ、里親のもとで養育されている10代の男の子が、「せめて、お母さんに抱かれた赤ちゃんのぼくの写真があったら……いつも胸ポケットに入れておくのに……」と、つぶやいていた、と。子どもにとって、自分の「出自」が不明であることは、生涯にわたって影響を及ぼすのですね。


■子どもの権利条約の「出自」を知る権利とは―
 1989年11月20日に国連が採択した「子どもの権利条約」(日本は1994年4月22日批准)は、“子どもに最善の利益を”と謳っており、その第8条の1は、「子どもは国籍、氏名および家族関係を含む身元関係について不法に干渉されることなく保持する権利を持つ」と規定しています。
 私は、子どもにもわかりやすく「子どもは、おかあさんとおとうさんが誰なのかを知り、自分の名前と国籍をもつ権利がある」と話しています。

 ここで、本稿冒頭の、「慈恵病院が(ドイツの)『妊婦援助および内密出産法』導入を検討と公表」の話に戻しましょう。

■ドイツ連邦議院、ベビークラッペの「匿名預け入れ」に反対!
 2001年5月、ドイツ連邦議院(日本の衆議院にあたる)は、このベビークラッペの「匿名預け入れ」を合法化するか否かについての公聴会を開きました。しかし、招請された専門家の大半が合法化に否定的であったため、結局、法制化の採択は無期延期となりました。
 反対する理由は、「女性たちが性暴力にさらされている社会で理を得るのは、その女性を妊娠させた無責任なレイピスト、児童性愛者、その他さまざまな男性加害者たちである。女性は性暴力から解放されることなく、暴力の連鎖は続き、問題は深刻化する」というものでした。
 中でも最も重要視されたのは、「出自が完全に不明になってしまうのは、その子の人権に反する」でした。養子縁組センターの心理専門者は、こう述べています。「自己の出自を知ることは、養子となった子どもたちにとって非常に重要であり、ベビークラッペの匿名預け入れ容認は、出自の追跡を全く不可能にしてしまうため、養子たちは生涯トラウマに悩むことになる」と。

■ドイツ連邦議院『妊婦援助および内密出産法』可決・施行―
 こうした経緯を経て2009年11月、ドイツ倫理審議会は、連邦議院に「ベビー・クラッぺの匿名預け入れ容認」を廃止するよう勧告。その結果、2013年5月1日に、『妊婦援助および内密出産法』が可決、2014年5月1日から施行され、今日に至っています。では次に、この法律の詳しい説明をしましょう。

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