北沢杏子のWeb連載
第186回 私と性教育――なぜ?に答える 2019年8月 |
「優生思想」を読み解く 日本の場合 ―そのV―
■ドイツ・障害者「安楽死」政策以前に、ドイツをはじめとして世界に拡散していった優生思想
米本昌平/島次郎/松原洋子/市野川容孝 著「優生学と人間社会―生命科学の世紀はどこへ向かうのか―」(講談社現代新書)、は、ナチス・ドイツの「障害者安楽死」政策(1938年)以前に、ドイツの医師で遺伝研究者ヴィルヘルム・シャルマイヤー(1857〜1919)をはじめとする優生学者集団が、この思想を喧伝したと記している。
彼らは第一次大戦(1914〜1918)が勃発するや、戦争停止を叫んだ。
その理由は「戦争は、兵役制度による徴兵検査にパスした健康で屈強な人間を死傷させる。一方、徴兵検査に失格した知的・身体的障害者、生まれつきの視覚、聴覚障害者、てんかん患者、精神分裂症、重度アルコール依存症等の劣悪者を残留させる。
結果、民族はその劣悪な遺伝を受け継いだ子孫が占め、国家は疲弊の一途を辿る」という論法である。
シャルマイヤーと並んで重要な役割を果たしたのが、人種優生学、経済学者のアルフレッド・プレッツ(1860〜1940)で、「人種優生学 学会」を設立。
「人種優生学を妨害する最も恐ろしい敵は戦争だ。戦争は、生まれつき優秀な者を戦死させることで、その子孫の出生率を低下させ、劣悪な国家を形成する」と主張。これが強制断種、強制不妊、子宮摘出手術につながっていったという。
■『ナチス・ドイツと障害者「安楽死」計画』※から―
右の資料は、1930〜40年代のドイツの医師集団が、障害を持つ患者に行った「強制不妊手術」が、世界中の『障害者権利運動』に重大な影響を与えたとを記述している。
当時、ドイツには15,000人の医師がいたが、その半数はナチス党員だった。医師の多くがナチス政権の「人種差別政策」を支援し、慢性病患者を殺害する計画に参加した。
殺されたのは、施設に収容されていた精神障害者、重度の障害者、知的障害者、結核患者ら、医師の目で「生きるに値しない」と判断された生命だった。
この計画は、ヒトラーの「安楽死命令書」(1938年9月1日付)によって行われたとされているが、これは「ナチスの計画」というよりも「障害者は優生学、遺伝学、生理学上、殺戮が妥当」とした医師集団の信念によるものであり、実行者も同じく医師集団であった。※ヒュー・G・ギャラハー著 長瀬修訳 現代書館
■ハダマーでのT4作戦計画
「T4」とは、作戦本部が、ベルリンのティーアガルテン通り4番地にあったことから命名された。
当時ドイツには、政府による6つの殺人施設(@グラーフェネック、Aブランデンベルグの元刑務所、Bハルトハイム(オーストリア)、Cベルンベルグ、Dハダマー、Eゾネンシュタイン)があったが、現存するのは、改装されたハダマー精神病院だけである。
1940年当時のハダマー精神病院は、有刺鉄線が張り巡らされた壁が敷地を囲んでおり、親衛隊が警備にあたっていた。医師、看護師、介助者、事務職員らは、有刺鉄線の内側で何が行われているのかを、口外しない誓約書に署名させられていた。
患者らは中西部ドイツの精神病院から、「公共患者輸送会社」の大きな灰色のバスで、週に数回、ハダマー精神病院に移送された。
患者は、精神分裂症、うつ病、知的障害者、小人症、マヒ、てんかん、性的倒錯(性的少数者LGBT)、アルコール中毒、結核患者、さらに「反社会的」行動者も含まれていたという。
移送された患者らはバスから降りると、ヴァールマン医師、クライン事務長、フーバー看護師長にカルテを照合され、脈がとられ記録された。その後、ホットコーヒーとパンが配られ、長旅の疲れを癒す待遇が供された。その後の運命は?