北沢杏子のWeb連載
第188回 私と性教育――なぜ?に答える 2019年10月 |
「優生思想」を読み解く 日本の場合 ―そのX―
生思想と民族浄化のための断種政策
ヒトラーは(というより、優生思想の医師連合の主張で)、民族浄化遂行と共に、同じドイツ人の中でも「優秀な人材を残し、劣等な遺伝子を消そう」と、1933年7月14日、「遺伝病子孫予防法」(断種法)を制定。1939年の停止までに、約40万人が、強制的に断種させられた。
私は1971年4月に、フィンランド共和国ヘルシンキの障害児養護施設「子どもの家」の取材を皮切りに、北欧諸国をはじめアジアを含む世界各国の障害児支援校の取材を行ってきた。その過程で1978年10月、ドイツ・ハンブルクの障害児支援学校小学部の授業を参観したとき、他の国と比べて児童数が極端に少ないのに気づく。
「児童の数が少ないような気がするんですが?」という私の質問に、校長先生は額の白髪をかき上げながら、「ええ、わが国は1930年から40年にかけて、いろいろありましたからねぇ」と、頷いてみせたのだった。その時は、校長先生のおっしゃった「いろいろ……」を、「ユダヤ人虐殺」とばかり思い込んでいたのだが、本稿を書くに当って初めて、ドイツの障害児学校の児童数が少ないのは、ヒトラー政権による「断種法」「T4作戦」の結果と知り、慄然とする。
日本の「旧・優生保護法」による強制不妊手術は、同じくこの優生思想の拡散にあったといえよう(福祉国北欧諸国でも、同じく優生思想による強制不妊手術が行われていたが、紙幅の都合で削る。今回の障害者への補助金350万円は、スウェーデンの補償金を換算したものだという)。
■旧・優生保護法により強制不妊手術を受けた女性が提訴!
優生保護法とは、不良な子孫の出生防止を目的に、優生学的断種手術および人工妊娠中絶を合法とした法律で、1946年9月11日施行、1996年12月に「母体保護法」と改正するまで約50年間続いた。
2018年1月30日、かつての優生保護法の下、「不妊手術を強制され救済策も取られていない」として、宮城県在住の60代の女性が、仙台地方裁判所に訴訟を起こした。彼女は15歳の時に“知的障害を持つ者”として強制不妊手術を施行された。
記者会見で原告側は、「出産の機会を奪われ、人権侵害された。国の謝罪と補償を求める」と訴えた。重ねて、新里宏二弁護団長は「子どもを産むことは憲法で保障されている基本的人権だ。手術の強制は重大な人権侵害であり、救済は当然であるのに、今日まで放置してきた国の不作為を問いたい」と語った。
これに対し厚生労働省は、「訴状が届いておらず、コメントは差し控えたい」。一方、国側は、旧・優生保護法が母体保護法に改訂されてから20年以上経っており、損害賠償請求権がなくなる「除訴期間※」を理由に棄却を求める構えをみせた。
■「旧・優生保護法」の主要な条文を読む―
第一条 この法律は優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。
第二条 この法律で優生手術とは、生殖腺を除去することなしに生殖を不能にする手術で命令をもつて定めるものをいう。
2 この法律で人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期に、人工的に、胎児及びその附属物を母体外に排出することをいう。
第三条 1 本人若しくは配偶者が遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患若しくは遺伝性奇形を有し、又は配偶者が精神病若しくは精神薄弱を有しているもの。
2 本人又は配偶者の四親等以内の血族関係にある者が、遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患又は遺伝性畸形を有しているもの。
3 本人又は配偶者が、癩疾患に罹り、且つ子孫にこれが伝染する虞れのあるもの。
こうして改めて読んでみると、この法律による強制不妊手術施行の対象者(第三条)が、@「本人若しくは配偶者が……」に始まって、A「本人又は配偶者の四親等以内の血縁関係者が……」と拡大され、Bに至っては「癩疾患に罹り、且つ子孫にこれが伝染する虞れのあるもの……」となっていることに驚かされる(癩病=ハンセン病は、遺伝ではなく感染症)。県の審査会に申請。審査会が手術の適否を決定した者に限り、医師が手術を実施する―となっている。
しかし実際には、知的障害や精神疾患などがある人に対し、本人の同意がなくても、医師が必要と判断すれば優生保護審査会の審査を経て「不妊手術の実施」が認められていたのだ。どんなことが行われていたのか、次号、その実例を挙げてみる。