第22回 私と性教育──なぜ?に答える      2005.12

   

 

『にんげんを返せ/平和を返せ』の大合唱の中で…

性を語る会代表  北沢杏子

 

  11月9日、北海道札幌市・創立100余年の歴史を持つ女子学園(中学校・高校・生徒数1,000名)から『宗教講演会』の講師依頼がありました。この学校では毎年11月に、戦争・平和・女性に関する講演会を開いています。  社会科の授業で、私が製作した『元“慰安婦”は語る──さんを訪ねて──』を生徒に見せ(「従軍慰安婦」は来年度の教科書から消えます)、日本軍性奴隷制と女性の人権について話してほしいとの要望でした。

 いま現政権が提唱する憲法改正(悪)案やその是非を問う国民投票案、靖国参拝、イラク派兵など、戦争参画への道が刻々と進む中で、(バックラッシュが激しい東京都に比べ)さすが北海道! ほんとうに勇気ある選択です。

 講演に先立って社会科のS先生から電話がありました。私が話す“慰安婦”問題や『女性国際戦犯法廷』の中で「女子生徒たちが男性不信にならないように」と。これは私にとって、非常によい示唆になりました。

 私は、「一度しかない人生を不本意なものにしないように」と講演の導入で語り、学徒兵として徴兵された男友達の話をしました。

 彼が激戦地のフィリピンで最初に命じられたのは、スパイ容疑で連行された現地の青年の首を落とすことでした。後手に縛られ正座している青年の首をめがけて日本刀を振り下ろしたものの、何度やっても切り落とすことができません。上官は怒り狂って命令しました。何度目かに青年の首は落ち、ドーッと血飛沫が飛び散りました。戦後、彼は社会科の教師になり、反戦運動を続けましたが、“戦争”によって生涯、脳裡から離れることのない悔恨の想いを背負わなければならなかったのです。

 戦争のために不本意な人生を送ったのは、日本軍“慰安婦”にされた日本の植民地や占領地域の女性たちだけではなかったのです。戦争さえなかったら、『女性国際戦犯法廷』で、「私はレイプをしました」と辛い証言した二人の元日本兵も、平凡な一市民として一生を過ごしたに違いないのです。私は、「女性も男性も不本意な、悔い多い人生を歩まないためには、平和を!」と結びました。

 最後に、礼拝堂を兼ねた講堂に備えつけられたパイプオルガンの演奏で、1,000人の生徒による峠三吉の『にんげんを返せ』の合唱が行なわれました。これは私が希望したもので、あらかじめ譜面をFAXしておき、受け入れていただいたのです。

 父を返せ/母を返せ/年寄りを返せ/子どもを返せ/私を返せ/私に繋がる人間を返せ/人間の人間のある限り/崩れぬ平和を/平和を返せ/平和を返せ……

 性教育は人権教育・平和教育なのです。感動と学びのその日の札幌は、一面の初雪でした。


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